ネコティアス<弊社コンサルタント>のひとりよがり時事コラム

2009年12月16日

ネコティアス
日本サイクルの最終局面に突入した日本
 

■日本サイクル:

 最初に哲学もなく、急場しのぎで決定された制度が、制度の継続のためだけの小さな調整を繰り返すことにより存続し、最後に崩壊する。 ⇒ 崩壊後はそれを検証し新たな哲学を伴った新制度を構築するよりも、再生そのものが目的になり、その時点で最適と思われる急場しのぎの制度を制定し、再び同じサイクルに入る。


■日本サイクルの問題:

1.
真に何を求めるかという問題提起ができない。 つまり制度制定時に根源的な、つまり目的の目的はなにか、と言うような問いかけができないまま制度が決定される事。
2.
時間の流れに応じた当初目的の変更あるいは問い直しができない。それ以上に時間の経過とともに当初目的は意識されることがなくなり、目的よりも制度の継続が最重要課題となる。
3.
外部を見る際は、制度の存続に役立つものがあるかどうかのみが興味の対象となる。
4.
外部からの意見は、制度をほめているか批判しているかが常に意識され、制度の目的に対するコメントには関心を示さない。
5.
制度の欠陥が修復不能になると崩壊に向け急加速するのみで、崩壊を回避するために新たな知恵を出すことなしない。
6.
制度がついに崩壊した場合は、古い制度は簡単に捨て去り過去のものとし検証もせず、新しい制度のもとに邁進する。


■日本サイクルから派生する行動様式

1.
行動は前提となる大きな目的(秩序の原理など)を達成するためではなく、制度の存続のためになされる。(非原理主義)
2.
行動に前提原理が意識されないわけであるから、権威についても同様に制度を継続するために必要であれば尊重するが、そうでない場合は簡単に権威を裏切ることができる。(権威軽視)
3.
制度の継続のための障壁になる行動・思想にはそれらが存在しないと思えるようになるまで、無興味⇒無視⇒全否定⇒排斥という段階的な抵抗をする。(非継続への恐怖)
4.
制度が自己崩壊した際に制定される新たな制度には速やかに対応し、その制度を存続させることが新たな目的となる。(制度への高度な適応性) つまり制度は速やかに制定される必要があり、制度の設立の為の理念に時間が費やされる場合には制度の変化は起こらない。(理念の軽視)
5.
制度は多数がそれに従う事により制度になるのであるから、必然として多数と同じ行動をとることが正しいことになる。(集団同一行動) この行動様式を法律に当てはめると制度としての法律はあるが理念としての法律は存在できないということになる。
6.
理念が制度を作り、制度は常に理念に翻って調整されなければならない、という考え方は理解されず。 制度の存続のための調整が理念の再考に沿ったものであると思いこむため、「理念がないがしろにされている」という指摘に対しては反省することができない。 制度が理念よりも大切であるものにとっては当然の帰結である。(制度至上) 憲法9条においても非戦闘の理念が是非も含め制定からさかのぼって議論されたことはなく、その制度を守ることが安心感をもたらすことになるため「非核3原則」や「政府間密約」の矛盾なども制度を変える必要がなければ何の問題にもならない。
7.
独裁であれ外圧であれあるいは内部からのものであれ、制度が短期間で変わる際の動揺は極めて速やかに吸収され、新しい制度にすばやく順応する。 理念の再構築の必要ないために順応が簡単におきるのである。 また、"変化"と考えられることは実は"新しい制度への順応"であるだけであるが、外部からも内部からも"変化"ととらえられることがしばしば見受けられる。(順応のための順応)
8.
ある制度を存続させるためにその下部に新たな制度を構築することを得意とし、また当然のことながらそれが可能である人物が尊敬の対象となる。 当初の制度は新たなサイクルが始まるまでは廃止されることなく制度の下に制度を構築することが継続していく。 権威が軽視されるわけであるから、新しい下部の制度が古い上位の制度に優先されることにより、制度をうまく利用できるものが尊敬される。(上下関係への無感覚) つまり制度を作り続け支配する行政が、本来大きな理念を制度化するべきと位置付けられている議員よりも尊敬され資質としては上位の人材がその職業につく。そして理念に基づく立法の責任者である議員は行政とその時々の民意により下位の制度を制定するために行動するしかなくなるわけである。(制度の再生産への尊敬)


■日本サイクルから起る事と起こり得ない事

  • 異なる制度と法律と宗教を規範として行動している他国の影響を軽微なものにする必要性がある際に、日本の制度を存続させるために新たな下位制度の制定で対応することはできるが、根本の制度を内部から自主的に変化させることは起こり得ない。
  • 内在する対立について、理念に基づく破壊をもたらすような対立は起こり得ない。 また制度の優遇を受ける度合いの差による対立は起こるが、そもそも理念の対立ではないので、簡単なきっかけで解消する。 
  • 自己責任原則、2大政党政治、憲法改正などなど、皆が順応すべき制度としてはこれらのことは起こり得るが、理念としての価値を持つものとしては起こり得ない。


■民主党政権に見る日本サイクルの行動様式の典型例

(1)
阿倍元総理の「美しい国」や森元総理の「神の国」などといった言葉は議論にもなり得なかったが、鳩山の「友愛」も誰にも相手にされないというよりもそもそも理念には国民は興味がないのであるから、議論にもならないであろう。 もちろんこの3人とも深く考えて言っているわけではないはずであるからして当然のことではある。
(2)
年金制度改革を叫んだ長妻厚生労働大臣は国民的スターとなった。 だが制度のマイナーチェンジはできても根本的変化など当初から考えてもいなかったのであろう。
(3)
「仕分け作業」などもとから政府=行政の仕事であり存在してきたのであり、そのような事を国民がいちいち決める必要がないように政府に任せてきたはずである。 「コントロールされた透明性の茶番劇」よりも本来同じ側に居る政府と行政が対立しているように見えることがなぜおかしいと感じられないのか? 岩手の住民が選んだ小沢という男が政権政党を掌握し、国民が選んだ与党議員が国民の意を汲まず一人の男の言う事を全て聞くという事態が独裁政権ではなくなぜ政治改革なのか?
また、本来立法府の代表であるはずの議員が全て政府側に立って疑問も感じない異常さはこの国に理念にもとづいた民主主義などそもそも存在しないという明白な証拠である。 あるのはただ制度としての民主主義であり理念がない為どのようにマイナーチェンジされようが疑問は持たないのである。
事ここに至ってもまだ、「民主党に期待」するマスメディアと多数の国民は、やはり日本サイクルから抜け出せない事、があきらかである。
(4)
日本サイクルにおいて外部環境が変われば、瞬間的に現在の制度が終焉を迎え、新たな制度に移っていくのであろう。 問題は日本サイクルの最終局面とならざるを得ないほど外部環境が変化したか? 制度が再構築を要するほど疲弊しているか?の2点である。 もしそうであれば我が国は、新たな制度を制定する前の自然崩壊に向かう。


■民主党政権が意図せず行っていることは、崩壊への加速器を作動している事である。

 崩壊が避けられないものであり、その後に新たな日本サイクルが始まるのであれば時間を延ばすことはないのかもしれない。 ただし次の日本サイクルが日本人にとって好ましいものになるとは限らないことは理解しておく必要がある。



以 上
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