ネコティアス<弊社コンサルタント>のひとりよがり時事コラム

2012年7月10日

ネコティアス
スポーツにおける自動判定システム導入の議論
― その答えは極めて簡単である ―
 

 

■最近はスポーツの世界でやっと人間によらない自動判定機器の導入が進みだした。
 テニスのホークアイを筆頭にMLBでもホームランにかぎりビデオ判定を導入し、サッカーでもゴール判定に機械を導入する事が決まったようである。  そもそも「人間の審判が誤審を犯すことや、ルールの改定で強豪チームの優位性をおとしめることなどを、スポーツのだいご味の一つであり、スポーツそのものでもある」というような論調はなぜ生まれるのかを考えてみたい。  判定自動化という提案に対して起こる拒否反応にはおおむね2つの理由付けがなされる。 つまり、(1)「人間が審判をやっているからこそスポーツに人間味が出る。」、
(2)「人間が審判をやる限り誤審はあるものと考え、それもスポーツの一要素である。」というものである。 

■しかし、多種多様なスポーツが成立した昔に立ち返って想像すれば、そのような考え方は後付けの戯言であることが判る。  スポーツをルールにのっとった競技であると考えれば、その競技を公正なものにする為にルールが考えられ(ルール自体も進化を続けるのであるが)それを判定する為に審判が導入されたはずである。  その当時にビデ判定など電子機器による自動判定が可能であればスポーツの開祖たちは躊躇なくそれを導入したであろう。 (開祖たちが審判の疑惑の判定がもたらす曖昧さを最初からスポーツに取り入れたいと考えていたと信ずるのであればこの限りではないが、そのように考えるのであればスポーツに公平性などということを求める事はできない。) 人間の審判を導入したのは、審判がいなければプレーヤー自身が判定を下さなければならず、そこで起きる可能性のある意図的な判定や集中力を欠く判定をできる限り避けて公平性を担保することに意義があったためであろう。  簡単に言えば審判に求められたのは単により正確な判定であるという事だ。 

 また、「人間が審判をやる限り誤審はあるものと考え、それもスポーツの一要素である。」という事についても、 もとは人間しかいなかったために人間が行うことによる誤審は受け入れるしかないと言うほどの意味であったはずである。  そして、それを少しでも少なくしようとしてより能力の高い審判の養成に尽力してきたのである。  しかし「人間しかいない」という前提が崩れ、自動判定システムが存在するようになればより正確な方法で判定を行うべきであるのは、 スポーツの発祥時に遡るとともにプレーヤーの努力に報いるためにも至極当然のことであるはずだ。

■それではなぜ、これほどのあたりまえなことに抵抗があるのか?  その理由も実はいたって簡単である。  抵抗運動がある程度力を持つためには二つの要素が必要となる。  一つは、新しいシステムの導入により既得権益を失う者たちの存在である。  すなわち組織化された人間の審判員たちである。 もう一つはその者たちがある程度の力を持っている事である。  一般的に力の源は暴力・金・人数の3つである。  審判が持っているのは 人数(審判がストをすれば多くの公式戦が即座にストップする)と 金(自動判定システム導入にさしたる論理的考えを持たずに反対する側のファンがスポーツ興行にそっぽを向けば収入は減少する)の二つである。  このうちスポーツ興行に関する懸念は人間の審判による判定を徐々に少なくさせ試合を左右するプレーに自動判定を導入することや、 その自動判定を行うための人間的なルール(自動判定はチームの依頼により行うとか、一試合中の自動判定の回数を制限するなど)を追加する事で 曖昧さ(=だいご味)を残すと言うような事が行われる。  最も厄介な事が人間の審判の既得権益の存続期待である。  そもそも正確な判定をすることのみが命題であった審判が、人間であるがゆえにその仕事に権威という衣を着せてしまうという事である。  つまり「俺が試合を作っている。」という強烈な誤解に基づくエゴである。  ほとんどの審判はプレーヤーを目指した後に審判の道に進んでいるのであろう。  審判員にそのような経験者が多いがゆえに主催者やプレーヤーは審判員を軽々しく扱う訳にはいかない。  そこに審判員のエゴが増殖する余地が生まれる。 一言でいえば「官僚化」するという事である。  官僚はいつの世も既得権益を手放さない。

■ここまでくれば、何が正しいかは明確である。  スポーツの成り立ちに戻ってできるだけ正確に判定できるものがあれば、いかなる方法であれそれを導入する事が、そのスポーツの発展に寄与すると言う事である。  そうであっても人間の審判員は存在できるのである、なぜならばビデオ判定を見ればそれがよく理解できる。  機械の情報を最終的に判定しているのは人間である。 機械も人間もどちらかのバックアップではない。  共存してより正確な判定をすることが目的になるべき尚である。

■ここで、審判員に力が無い場合に以下に簡単に自動判定システムが導入されるかの一つの実例を示すことにする。  かつて全ての株式取引所は多くの買い注文と売り注文は「仲立ち会員」といういわば審判員によって時間の原則と値段の原則によりできるだけ公平な取引がなされていた。  ある時、時代の要請により取引処理を自動化する事になり、仲立ち会員は世の中から消滅した。 (例えば現在の日本の株式市場は全ての取引がコンピュータによりなされている。) その際に仲立ち会員より強い抵抗があったであろうか? 答えは否である。  彼らは当然、大きな既得権益を持っていたが悲しいことに、証券業界の中でそのステータスは当初より低かった。  そのため彼らは官僚化したのではなく下請け化していただけであったためにその抵抗は返り見られることは無かったのである。

 



以 上
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