2004年04月30日

白川 浩道
デフレ早期脱却論は楽観的



ひところ、金融市場における話題の中心は“デフレ・スパイラルのリスク”であった。 しかし、最近は、“デフレ・スパイラル”という言葉をほとんど耳にしなくなった。 そればかりか、不動産バブルだ、資産インフレだと、“インフレ・スパイラル”を心配するかのようなコメントが盛んに行われている。 市場における期待の変化の大きさには驚かされるばかりである。


こうした市場の声を受けて、日銀自身、“デフレ・スパイラルのリスク”に対する警戒レベルを引き下げてきている。 福井総裁の「デフレ脱却まで残り1マイル」という表現には、慎重さの中にも、デフレ脱却を展望する日銀のスタンスが明確に現れている。 「残り1マイル」の具体的な意味は判然としないが、日銀とすれば、コアCPIの前年比が安定的にプラス化する時期を1年程度先と想定し始めている可能性がある。


しかし、量的緩和政策に関する出口論は、依然として、かなり拙速な議論であると言わざるを得ない。 世界経済を取り巻く環境は、一見、好調そうに見えるが、徐々に景気下押しリスクが高まっているからである。 今後、日本の物価が安定する確率と、再び下落基調を強める確率は50:50であると考えるのが妥当であろう。 すなわち、物価安定とデフレのリスクはほぼバランスしていると言える。 その意味で、日銀が、現在の量的緩和政策の解除を議論できる段階にはまだない。


消費者物価水準の下げ止まりとその後の持続的な回復には、失業率の持続的な低下が必要である。 デジタル家電やパソコンなど、主力の耐久消費財価格は、技術革新の影響から、今後も価格下落が継続する可能性が高い。 従って、雇用環境の持続的な改善によって賃金が回復に転じ、その結果として、サービス価格が上昇を始めることこそが、デフレ脱却の条件となる。 我々の試算では、完全失業率が少なくとも4.5%程度まで低下しない限り、賃金の回復を通じた消費者物価の下げ止まりは展望できない。


3月の労働力調査によれば、失業率は前月比0.3ポイントも低下し、4.7%となった。 4.5%が視野に入ったかのようにも見える。 しかし、油断は禁物である。 3月の失業率の低下は、労働力人口が一時的に大きく減少したことの影響であると捉えた方が良い。 4月以降には、再び、失業率が4.8−4.9%まで上昇するであろう。 失業率4.5%までの距離はまだある。


失業率が4.5%以下に低下するためには、就業者数が完全に下げ止まることがどうしても必要であることを認識しなくてはいけない。 ベビーブーマー世代が徐々に現役引退時期を迎えるため、労働力人口の縮小が継続する可能性が高く、このため、失業率には下押し圧力がかかる。 それでも、就業者数が、2004、2005年の2年間で15万人程度増加しない限り、 2005年後半までに失業率が4.5%程度へ低下することを期待するのは現実的ではないとみている。


2年間で15万人程度の就業人口拡大など大したことないではないか、と思うかもしれない。 しかし、日本の就業人口は、1998年から昨年までの6年間、一貫して縮小してきている。 縮小が止まって、就業人口が拡大に転じることはそう容易なことではない。


ここで、重要なことは、マクロでみた就業者数の拡大にとって、製造業の雇用リストラの再加速は大敵であるということだ。 言い換えれば、製造業における雇用リストラが再加速し、年間50万人以上の雇用削減が製造業で行われた場合、全体でみた就業人口の拡大は望めない。 非製造業における雇用吸収力は、甘めに見積もっても、年間50万人程度であるためである。


このように、製造業で雇用リストラが再加速した場合、消費者物価の下げ止まりは期待できない。 デフレからの脱却はお預けである。 デフレからの脱却には、今後2年程度にわたって製造業の業況が維持されることが不可欠となる。 製造業における雇用削減ペースが拡大することは許されない(なお、3月における製造業の就業人口は前年比で36万人減少しており、やや弱含んでいる)。


しかし、製造業がその業況を維持することは日増しに困難になりつつある。


第1の問題は、交易条件の悪化が継続していることである。 原材料や一部素材など、投入財の価格上昇傾向が強まっている一方、機械類など産出財の価格は低迷を継続させている。 残念ながら、日本の加工業種の価格支配力は全く改善していない。 このまま、投入価格の上昇が継続すれば、製造業では、加工業種を中心に利益マージンが大きく縮小し、新たなリストラ局面に入らざるを得なくなる。


第2の問題は、米国長期金利の反転上昇である。 足元における雇用統計や消費者物価の回復を受けた利上げ期待から米国長期金利の低下局面には終始符が打たれ、反転上昇局面入りとなった。 米国における最終需要で最も重要な個人消費は、長期金利との相関が強いため、米国長期金利の上昇は個人消費の後退を招く可能性がある。


第3の問題は、中国における金融引き締めモードの強まりである。 投資の過熱を懸念する当局は、信用引き締めによるソフト・ランディングを真剣に模索し始めた。


このように、外需環境は徐々に悪化してきており、製造業の業況に対するダウンサイド・リスクが強まっている。 製造業の雇用リストラが再加速してしまうリスクは高まっている。


足元ではデフレ脱却がやや遠のきつつある、というのが適切な理解であり、デフレ脱却が近づいたというのは、誤った理解であると考えられる。


こうした状況にあって、日銀が量的緩和からの脱却を性急に視野に入れた場合には、益々、物価、株価に下押し圧力がかかる。 まず、日本の米ドル買い為替介入が一段と困難になり、その結果、民間資金に対する米国財政赤字ファイナンス負担が増大する。 これは、米国の長期金利のさらなる上昇をもたらす。 また、日銀が、量的緩和の追加を見送った場合、国内長期金利にも上昇圧力がかかる。 国債市場における日銀の保有シェア(残高ベース)が緩やかな低下を辿るからだ。


このように、日銀が量的緩和からの脱却を展望して量的緩和の追加を見送ることは、世界的な長期金利上昇、景気後退、株価下落を招く公算が大きい。 そして、その結果、日本の製造業の利益環境が悪化し、雇用リストラが加速すれば、日本の消費者物価の下げ止まりを達成することはできない。


日銀が、来年中の消費者物価の下げ止まりを確認したいのであれば、今は量的緩和を追加しなくてはならない。 言い換えれば、性急な出口政策の模索は、消費者物価の下げ止まりと整合的ではない。 市場は、日銀が量的緩和を追加した場合には、デフレ脱却を確信すべきであり、 今後、数ヶ月以内に出口政策を模索し始めた場合には、“デフレの再来”を懸念すべきである。


 

以 上
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