2010年05月31日

白川 浩道
円安には日本人のメンタリティの変化が必要


 ギリシア危機の発生を受けて世界的に政府負債の問題が注目を浴びている。 世界的な金融危機後の景気後退によって税収が落ち込んでいたところに、減税や公共投資拡大などの景気対策が講じられ、財政赤字が大きく膨らんだためである。 景気対策のおかげで世界景気はなんとか下げ止まったものの、各国には膨大な政府借金が残り、政府の借金返済能力が問われているというわけである。

 ある国の政府の借金返済能力を決める要素は大きく分けて2つある。
1つはその国の民間経済の成長力である。 当たり前のことであるが、民間経済の成長力が十分に高ければ、税収が自然に増加するほか、景気対策の必要性も低下する。 政府の財政収支は趨勢的に改善し、借金返済能力も高まる。
もう1つは政府の財政運営の健全性である。 民間経済の成長力が高くても政府が不健全な財政運営をしていれば、借金返済能力は高まらない。 不健全な財政運営とは無駄な財政支出の放置や脱税の黙認などである。

 世界の金融市場が問題国ギリシアの借金返済能力を懸念しているのは、同国が2つの問題―不健全な財政運営、低い民間経済の成長力―を同時に抱えているからである。 2つの問題に対する解決策がみえない以上、どんなに思い切った財政赤字削減計画をみせられても安心はできないのである。 逆に言えば、外国企業誘致策などの民間経済再生プログラムや脱税取締り強化策を大々的に打ち出せば、市場のギリシア不安が吹き飛ぶ可能性すらあると言える。 しかし、ギリシア政府がそうした方向に舵を切ることはできない。 政権基盤を維持するためには国内企業や国内アングラ経済を支えることが最も重要であるからである。

 翻って日本はどうか。  日本については、所得税の課税ベースが弱く(課税最低限所得が高く、最低税率が低い)、税収が上がりにくい、特殊法人・独立行政法人などに絡む不透明な支出がある、などといった問題点も指摘可能ではあるが、国際的な観点に立った場合、政府の財政運営が健全であるとは言いにくい。 従って、日本の借金返済能力については、基本的に民間経済の成長力の問題であると捉えるのが妥当である。 日本の民間経済の成長力が趨勢的に低下しているのであれば、日本政府の借金返済能力も趨勢的に低下していると考えるしかない。

 果たして実態はどうか。  多くの読者は、民間経済の成長力が落ちていることは火を見るよりも明らか、と考えていることであろう。 長期化するデフレ、低迷する株価、減少する人口、高齢化する労働力、進まない規制緩和、見えてこない経済成長シナリオ、停滞する政治、現れないリーダー、など複数の問題点を指摘することはあまりに容易であるからだ。

 国際金融市場のプレイヤーも同じことを考えているはずである。 すなわち、日本の民間経済の成長力は趨勢的に低下しており、日本政府の借金返済能力も趨勢的に低下している。 従って、いずれ日本の財政は危機的な状況に追い込まれ、日本国債と円相場の暴落が起こるだろう。 それがコンセンサスのはずだ。

 しかし、ギリシア危機の発生以降、日本国債は売られるどころか、買われている。 円も売られるどころか、買われている。 皆、日本国債や円への投資を増やしている。 驚くべきことであるが、日本国債や円は安全資産、安全通貨であると考えれている。 先進国の中で最も民間経済の衰退が激しいとみられている日本への信頼はまだ崩壊していないのである。

 なぜであろうか。  それは、日本の民間経済は成長力も活力も失ったが、倹約と貯蓄の精神を断固として守っているからである。 成長できないことを知っている多くの企業は究極のコスト・カットと内部留保の拡大に努めている。 所得が伸びないことを知っている個人も消費を切り詰め、貯金に励んでいる。 贅沢は敵である、という精神は強まりこそすれ、衰えることを知らない。 政府が年間50兆円にも及ぶ借金をする中で、民間部門は60兆円を上回る貯蓄をしている。 膨大な財政赤字を出しているにもかかわらず、海外に貸す資金が10兆円以上も余っているのだ。 日本は海外に資金を融通する余裕がまだ十分にあるということである。 民間経済の先行きは暗くとも、“貸し手”である以上、国際金融市場は円相場や日本国債に敬意を表する必要があり、円相場や日本国債の価値は下がらないのである。

 日本人の倹約と貯蓄の精神に支えられた円・ドル相場の適正値はどの辺りか。 PPP(購買力平価)に基づいて試算すると、ずばり78円である。 個人的には1年以内に円・ドル相場が80円を切る可能性あり、と読んでいる。

 円高が円安に転じるためには、日本人の倹約と貯蓄の精神が変化しなくてはならない。 放漫と消費癖の精神への変化である。 民間経済の活力が失われており、将来の展望が開けない状態であるにもかかわらず、放漫と消費癖の精神が台頭するとすれば、それは自暴自棄の状態であろう。 要するに、ヤケである。 そうした状態では、政府がある程度まじめに財政を運営していても、日本は“貸し手”から“借り手”に転じているはずであり、日本に対する信頼も、円に対する敬意もなくなっているだろう。

 日本企業と日本の個人がいつ“ヤケ”になるかを見極めることが為替相場の予想にとっては極めて重要であるが、それが近い将来に起こる気配はまったくない。

 

以 上
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