2011年08月25日

白川 浩道
静かな信用削減と「ニュー・ノーマル」


 足元における世界的な株価調整や米国債価格の暴騰(長期金利の大幅低下)は、世界経済が再び景気後退局面に突入する可能性を先取りしたものなのであろうか。答えはノーである。世界経済は、巡航速度の下方シフト、つまり低成長化という新しい領域に足を踏み入れつつあるのであって、再びクラッシュするわけではない。新たな定常状態(安定状態)、いわゆる「ニュー・ノーマル」に向かって調整が起こっているに過ぎず、足元はその過渡期であると言える。

 再び景気後退局面に突入する可能性が低いと考えられる最大の理由は、リーマン・ショック後の景気ボトム・アウトから足元までの約2年間において、ブーム(景気過熱)らしいブームが発生していないからである。英語では景気の過熱と自律的な後退のことをブーム・アンド・バスト(破裂)というが、ブームが発生してない以上、バストもあり得ない。バブルが発生していない以上、バブルの崩壊はあり得ない。過剰投資や過剰消費が一定の期間にわたって継続し、不均衡が蓄積されて(バブルが膨張して)こそ、その崩壊に伴う不況が襲ってくる。これが経済の論理である。

 米国経済はどうか。住宅市場は低迷状態が著しく、住宅価格の下げ止まりはみえていない。企業設備投資は回復基調にはあるものの、過剰投資と呼ぶには程遠い。設備投資のキャッシュフロー比率は歴史的低水準に張り付いたままである。過剰投資ではなく、むしろ過少投資の感すらある。個人消費もその地合いも弱い。自動車販売はその典型である。米国経済にブームは一切見当たらない。

 欧州経済も同様である。ソブリン(国債)危機に見舞われた問題国では財政緊縮のおかげで低成長が継続しており、ブームが起こる余地はない。ドイツ景気の回復ペースが速過ぎたのではないかとの議論はできなくはないが、不動産バブルが発生しているわけでも、過剰投資が発生しているわけでもない。不動産市場について言えば、バブルが崩壊したとみられるスペインやイタリアなどでは価格の下落傾向が続いており、新たなバブルの気配すらない。

 このように先進国経済にはブームもバブルも見当たらず、破裂や崩壊による景気後退というシナリオを描くことはできない。

 他方、新興市場国経済についても、香港・中国の不動産市場など局所的にはブームやバブルが存在し、その破裂が地域経済に影響を与える可能性はあるものの、全体としてみれば、懸念するほどの不均衡が蓄積されているわけではない。あえて言えば、15年周期で動いているアジア諸国の社会インフラ投資がそろそろ中期循環的にピークを迎える可能性がある程度である。

 "ブーム・アンド・バスト(過熱と崩壊)ではなく、低成長化である"と考えるとして、低成長化をもたらしている元凶は何か。最有力候補は金融規制・監督の強化である。米国におけるドット・フランク法やバーゼルVの導入の下で、世界の大手金融機関はディレバレッジングの推進と信用リスクテークの縮小を余儀なくされつつある。かつてのように信用市場が拡大する世界を描くことはできなくなり、その結果、経済成長率は低下せざるを得なくなった。しかも、ソブリン(国債)であっても格付が低下すれば、金融機関はバランスシートから外さざるを得なくなる。このため、信用のアベイラビリティが低下するのは、民間債務だけではなく、財政状況の悪い国の政府債務も含まれることになる。

 こうした状況は新たなクレジット・クランチと呼べるような現象であるが、これまでのクレジット・クランチとの決定的な違いは、それが景気後退によって引き起こされる急激な信用収縮ではなく、いわゆる"景気の平時"において粛々と行われる信用削減であるという点だ。

 一部の欧州ソブリン(国債)を除けば、静かな信用削減は米国のモーゲージ(住宅ローン)市場で最も顕著である。その帰結は住宅価格の低迷長期化と米国消費者マインドの趨勢的な悪化、そして、米国個人消費成長率の下方シフトである。

 株式市場の混乱が収まったのか、まだ明らかではない。静かな信用削減と整合的な「ニュー・ノーマル」における世界成長率の落ち着きどころがわからないからである。ただし、仮に高騰した米国債価格(急低下した米国長期金利)が「ニュー・ノーマル」を適切に織り込んでいるとしたら、現状の欧米株価の調整は十分ではなく、向こう半年程度のうちに非常に大きな下落圧力に再び晒される可能性がそれなりにあると考えるべきであろう。(了)

 

以 上
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