2002年02月13日

白川 浩道
政治主導での一斉公的資本注入の可能性が増大?

 株価の低迷の下で、銀行に対する公的資本注入や日銀特融に関する議論が盛んになっている。議論がやや混迷の度合いを深めているので、ここで改めて整理を試みたい。まず、もっとも重要なことは、公的資本注入であれ、日銀特融であれ、政府(金融危機対応会議)による危機宣言が前提として必要になるということである。危機宣言とは、政府が、「信用秩序の維持に重大な支障が生じるおそれがある」ことを認めることである。すなわち、システミック・リスクの存在を認めることである。そして、こうした「危機宣言」については、不可抗力によって宣言せざるを得ない状況に追い込まれることが必要である。政府が、自ら危機的な状況を作り出すことはあり得ない選択肢であり、その意味では、不良債権処理と関係付けて、危機宣言が行われることはない。政府は、株価の大幅な下落や、突然の(管理されていない)大型企業倒産を捉えて危機宣言するしかない。

 しかし、安易に危機宣言することはできない。なぜなら、銀行部門に対する早期の介入は安易な銀行部門救済であるとの政府批判が生じるリスクがあり、これが金融監督行政に関する責任論に発展する可能性がある。加えて、危機宣言は、負のアナウンスメント効果を持つ可能性もある。危機宣言は、金融システムに対する一般預金者の信認が低下するリスクをはらんでいる。従って、政府の危機宣言は、不可抗力と予防措置を強調したものとならざるを得ない。「世界経済の脆弱性等を背景にした株価下落等によって、金融面でのシステミック・リスクが高まっている。しかし、これは金融システムの危機的な状況を事前に防止するための予防措置であり、政府は金融システムの健全性は維持されているものと理解している」といったようなものになろう。そして、一部金融機関への資本注入は、選択肢としては採りにくい。なぜなら、政府として問題銀行を名指しで認定するようなものであり、預金者が動揺すれば、資本注入を受けた銀行が実際に破綻しまうリスクがあるからである。従って、公的資本注入は主要行に対する一斉資本注入となる可能性が高い。

 結局、公的資本注入は、大きな矛盾を孕んでいる。危機宣言はするが、実際に危機が起こっていることは認められないといった、論理性、合理性の低いものとなってしまう。さらに、健全性が高い銀行からは一斉資本注入に対して反対が出るであろう。資本注入を受けることは自行の経営状況が危機的な状況にあることを半ば認めるようなものであるからだ。やはり、一部の政治家を除いて、政府としては、公的資本注入を積極的には打ち出しにくい状況にあることに変わりはない。破綻前の銀行に対する公的資本注入の決定については引き続き難航が予想される。

 株価の下落を、このまま指をくわえてみていることができない政治家にとっては、ここまで来たら、外圧を利用するほかに手がないであろう。今回のG7会合では、「お土産をもらった」とみられる。政府(株価上昇のための一斉公的資本注入を計画する守旧派等)は、今後、「G7で金融システム対応を迫られた、だから対応するのだ」といった論理を展開して来るのではないか。多くの矛盾を孕んだ予防的な資本注入に後ろ向きな、監督官庁や銀行は、結局、こうした外圧を利用した政治的な圧力に屈してしまうのではないだろうか。まともに考えれば、予防的な公的資本注入の可能性は低い。しかし、政治主導のあいまいな基準による一斉公的資本注入の可能性は高まっているといわざるを得まい。政治家が、株安による政治リスクを大きくみるようになっているからである。

以 上  
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