2003年08月27日

白川 浩道
趨勢的な円高へ


米国経済は三重苦に喘いでいる
米国経済に対する楽観論が息を吹き返している。確かに、足元では、小売統計を中心に改善傾向がみられており、7−9月期に関して言えば、実質GDP成長率が年率4%程度にまで回復する可能性が現実味を帯びてきている。投資家にとっては、米国景気の回復、米国株式市場への国際資金の再流入、そして、米ドル高へ、といったシナリオを描きがちな環境にあると言える。しかし、そうしたシナリオの蓋然性は高くないだろう。米国経済は、金融仲介機能の低下、ディス・インフレの深刻化、対外赤字の悪化、といった三重苦の中にある。米国経済については、年前半の低成長の反動によって一時的に成長率を高める可能性はあるにせよ、3%を上回るような成長率を持続的に達成するようなピクチャーを展望できるような状況には依然としてない。

米国における金融仲介機能の低下は、FRBのシニア・ローンオフィサーズ・サーベイの結果から明らかである。FEDによる金融緩和はこの7−9月期で8四半期目に入るが、米銀の商業ローンの融資基準に関するDI(ディフュージョン・インデックス)をみると、大・中堅企業向け、中小企業向けともに「プラスの領域」に止まっており、融資基準を引き締めている銀行の割合がそれを緩和している銀行の割合に比べて依然として多い。前回の金融緩和局面における8四半期目に当たる93年7−9月期では、中小企業向けですら、融資基準を緩和している銀行の割合が引き締めている銀行を10%以上上回っていた。今回の局面では、銀行の信用リスクに対する見方が前回局面に比べてかなり慎重な状態にあることを認めざるを得ない。FEDはかなり思い切った金融緩和を進めてきたようにみえるが、銀行の金融仲介機能の十分な回復をもたらすには至っていない。

米国における財(商品)価格のディス・インフレ傾向に改善の兆しがないことも懸念される。米国の消費財市場の約4割が輸入品で占められていることからすれば、米ドル安による輸入物価の上昇が消費財価格をそれなりに押し上げてしかるべきである。しかし、そうした米ドル安の効果は、国内消費財の価格にはほぼまったくと言ってよいほど反映されていない。すなわち、輸入物価の前年比は、昨年初のマイナス5%程度から最近では前年比プラス1%程度まで大きく回復しているにもかかわらず、CPIの財価格の前年比はマイナス2%弱でふらふらしている。国内消費財市場における需給ギャップが依然として大きいこと、米国消費者のデフレ志向が強まっていること、を示唆している。こうしたディス・インフレ深刻化の下で、米国における企業収益や個人所得の大幅な改善を望むことができないことは明白である。

このように、米国経済には、金融仲介機能の低下とディス・インフレの深刻化といった2つの足枷が存在するが、米国経済の更なる問題点は、そうした中でも趨勢的に対外赤字が拡大していることである。足元での経常赤字のGDP比率は既に5%を超えてしまっている。米国経済は、ITバブル崩壊といった国内需要の減退期にあっても、対外赤字の拡大を経験し続けており、もはや、国際収支の悪化は完全に構造的なものになっている。米国は、政府部門を中心に、景気の先行きに不透明感がある中でも、海外から資金を借り続けなくてはならない。そして、その金額は趨勢的に拡大しているのである。国際投資家からすれば、当然の帰結として、米国長期金利の上昇を要求するだろう。高い金利で補償されない限り、米国の対外赤字をやすやすとはファイナンスしたくないからである。逆に言えば、米国は長期金利の上昇によって米国債の魅力を高めない限り、海外からの資金流入を維持できないのである。

実際、米国の長期金利水準は上昇トレンドにある。これが景気回復期待を反映した“良い金利上昇”であるとみる向きもあるが、そうした解釈は誤りであろう。米国長期金利の上昇は、米国の対外赤字の拡大を背景にした“悪い金利上昇”であると読むべきである。景気の足腰がしっかりしていない状態で長期金利が上昇すれば、国内景気にはさらなる下押し圧力がかかる可能性が高く、国際投資家はそうしたマイナス・インパクトの方を懸念しなくてはならない。

金融仲介機能の低下、ディス・インフレの深刻化、対外赤字の趨勢的な拡大を背景にした悪い金利上昇といった三重苦の下で、米国政府は、遅かれ早かれ、金融緩和の追加実施に追い込まれるであろう。米国でもゼロ金利政策が実現する可能性が高まっているのだ。そして、そうしたショッキングなニュースの下で、米ドル相場は大幅な下落を余儀なくされるであろう。米ドルの暴落が生じるとまではいかないが、10−15%程度の米ドル調整が短期間のうちに生じる可能性は十分視野に入れておかなくてはならない。


為替介入による円高阻止は不可能だ
こうした円高ショック見通しに対して、「金融当局の対応によって大幅な円高は回避されるだろう」という楽観論がある。しかし、こうした見方は危険である。

まず、最初に整理しておかなくてはならない点は、日本は、民間部門を経由した経常黒字の対外リサイクルに困っている、ということである。経常収支と資本収支の合計の動きをみると、今年に入ってからの黒字幅の拡大が顕著であり、日本の民間部門のホームバイアス度合いが大きく高まっていることが示される。年初来で累計8兆円にも達する、暴力的ともいえる当局のドル買い介入がなかったら、円相場は100円程度まで上昇していた可能性がある。それほど、円相場に対する潜在的な上昇圧力は強い。

第2に重要な点は、為替介入がかなり思い切って実施されてきているとは言え、現状では、不胎化介入である、ということである。日銀が供給している当座預金残高は、5月以降、横ばいで推移しており、増加しているわけではない。日銀は、為替介入を1つの有力な資金供給方法として利用してきているが、日銀は、為替介入によって供給された円資金を市場に追加的に供与しているわけではない。為替介入はマネタリーベースにとって中立的なのである。こうした不胎化為替介入の持つ1つの重要なインプリケーションは、日銀が国内長期金利の高止まり状態をもたらしているということである。多額の為替介入の結果、日銀による中長期国債買い切りオペの増額が回避されていることがその背景であることは言うまでもない。

これらの点からすれば、日本の当局による歴史的な規模での為替介入は、円安誘導政策として有効なものでは全くなく、受動的な円高阻止策としか言えない。真の円安誘導政策は、内外金利差を拡大させることによって、国内貯蓄が経常黒字のリサイクル以上に流出する状態を作ることである。こうした政策は、日銀が、より高いベースマネーの伸び率にコミットするとともに、中長期国債買い切りオペの大幅な増額を決定することで、国内債券市場に再度バブル的な状態を引き起こすことを必要とする。無論、為替介入も、不胎化ではなく、非不胎化の形で実施される必要がある。非不胎化介入、より高いベースマネーの伸び、国債市場バブル、といった3つのキーワードが揃ってこそ、円安誘導政策と評価することができる。しかし、現状では、そうした政策が採用される可能性は極めて低い。日銀が量的緩和の拡大に後ろ向きであるからである。

さらに言えば、日本の国内景気の明るさが増してくれば、日本の当局による円高阻止策としての為替介入すら、その正当化が徐々に困難になろう。為替介入によって円高が回避されるというシナリオは再点検が必要である。


日本の景気の持続的回復がみえてきた
日本の国内景気の持続的な回復が視野に入ってくれば、円相場に対する上昇圧力は決定的なものになるだろう。米国経済の脆弱性に対して、日本経済の明るさが注目を浴びれば、国際資金フローはいっせいに日本に向かってくることになる。さて、その日本の景気はどうか。

秋口以降の国内景気の鍵を握る要因は3つある。第1には海外経済環境、第2には非製造業を中心にしたIT投資の動向、そして第3には個人消費の動向である。まず、海外経済環境については、上記で指摘したとおり、米国経済の回復感が短期的には強まる可能性があるが、景気回復の持続性に関して市場が自信を持つまでには至らないと予想する。また、IT投資に関しては、機械受注等の先行指標をみる限り、非製造業におけるユーザー投資の目立った回復を展望できる状況にはない。従って、秋口以降の経済成長率に関しては、個人消費の動向が決定的な鍵を握っていると言わざるを得ない。

その個人消費については、今後、回復力が強まってくる可能性が高い。個人の所得環境における明るさが増しているからである。個人所得は、この4−6月期に大きく回復した。これは、個人部門が、輸出と製造業生産の回復によってもたらされた昨年の景気回復の対価を受け取る局面に差し掛かっていることを意味している。こうした動きは、基本的には、個人所得の循環的な回復であると判断されるが、重要な点は、回復の度合いが想定以上に強いということである。前年比ベースでみた非農業部門雇用者の名目所得はプラス1%を超えるところまで回復しており、これは、日本経済がITバブルを謳歌した2000年の水準から見劣りしないレベルである。

加えて、個人の所得環境、すなわち、賃金・雇用環境の持続的な改善が視野に入り始めている。ここで、まず、第1に指摘したいのは、労働市場における需給ミスマッチの趨勢的な拡大が観察されることである。労働市場における需給のミスマッチの度合いを測る道具としてUV曲線(失業・求人曲線)が用いられることが多いが、2001年以降の景気後退局面では、このUV曲線がほぼ垂直に北方向に動いた。UV曲線は、通常、景気後退局面では、失業率の上昇と求人率の低下を反映することによって北西方向に動くはずであるが、そうならなかった(90年から94年、97年から99年にかけてはUV曲線が北西方向に移動)のである。また、有効求人倍率の動きをみると、2002年にかけての景気後退期におけるボトムが、1999年にかけての景気後退期におけるボトムに比べて高止まりした。

UV曲線や有効求人倍率によって示される、「景気が後退する局面でも、企業は高めの求人水準を維持した」という事実は、日本の労働市場が徐々に売り手市場化している可能性を示唆している。日銀短観サーベイの雇用需給判断DI等が示すように、労働需給が全体として逼迫している状態にはない。しかし、高齢化の進展、若年労働者の就業に対する意識の変化(定職を持たない若年労働者の増加)、経済の高度化に伴う熟練労働者の不足など、労働供給に関する制約が増大傾向にあることも事実である。徐々にではあるが、労働需給が趨勢的にタイト化しつつある可能性を否定できない。

もう1つは、小泉政権における金融・産業構造改革の放棄である。現政権におけるハードランディング型改革の放棄は、大手流通企業に対する救済パッケージの導入、大手銀行に対する公的資金の再注入、日銀による過剰流動性政策の維持、といった政策のコンビネーションによって端的に示されているが、その結果、雇用・賃金環境が趨勢的に回復する可能性が高まっていることは明らかであろう。

日本経済が個人消費の回復に支えられながら、実質2%程度の持続的な経済成長のパスに復帰する可能性が高まっている。株価の持続的な上昇を期待した海外資金の流入が継続する下で、円相場が趨勢的に円高化するシナリオがみえてきたと言えよう。年内に1ドル110円近傍まで円相場が上昇することになると読む。

以 上
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