2004年09月30日

塚崎 公義
人民元は上がらない



 今回のG7は、中国が参加するということで、人民元の切り上げ問題が話題を呼んでいます。しかし、人民元切り上げに対する外圧が弱く、国内的にみたインセンティブが小さく、デメリットが大きいことを考えると、人民元は当分の間切上がらないように思われます。


〔 外圧は減衰へ 〕
 米国は、中国との貿易が巨額の輸入超過となっていて、そのことが「中国製品に職を奪われた労働者が大勢いるので、人民元を切り上げさせることが必要だ」という政治的な認識につながっています。そこで、米国は積極的に人民元の切り上げを求めていますが、米国以外の国は比較的冷静です。日本も昨年は米国と同調して人民元切り上げを要求していましたが、最近では静かになっています。
 米国以外の国が静かなのは、対中赤字に悩んでいる国が少ないからですが、そもそも最近の中国の貿易収支がゼロ近傍で推移していることを考えると、「人民元が割安だ」ということも主張しにくいわけです。
 米国は、人民元切り上げ要求を行なっていますが、それが理にかなった要求ではないということも、効果がないということも、うすうすわかった上で、大統領選挙を前にして、選挙民へのポーズとして要求しているだけでしょう。選挙が終われば、振り上げたげた拳を静かに下ろすことになるものと思われます。中国側も、「実施時期は明示しないが、柔軟な為替制度に向けた検討を約束する」といった玉虫色の発言をして、米国が拳を下ろしやすいような環境を整えるのではないでしょうか。


〔 中国のインセンティブ 〕
 中国国内にも人民元の切り上げを望む声があることは事実です。たとえば学者は「為替相場は市場の需給で決まるべきだ」「人為的に人民元相場を割安に放置すると、本来淘汰されるべき産業が生き残ってしまい、資源配分の効率化が妨げられる」といった議論を展開しています。こうした意見はマスコミにも採りあげられますので、中国内にも切り上げの動きがあると考える人もいるでしょうが、こうした学者の意見が政策に反映される可能性は小さいでしょう。人民元を切り上げるか否かを決めるのは高度な政治的な判断であり、これを判断するのは、学者とは異なる視点でモノを考える「政治家」だからです。その意味では、中央銀行の意向さえも政策に反映されるとは限りませんので、注意が必要でしょう。
 また、たとえば輸入車のディーラーは人民元の切り上げを望んでいるでしょう。輸入車が安くなれば国産車のシェアを奪えるからです。しかし、こうした声も政策には反映されないでしょう。国産車メーカーと国産車ディーラーの被る打撃の方が輸入車ディーラーの享受するメリットよりも大きいため、政策判断として人民元を切り上げるべきだという結論にはなりにくいからです。
 ドル買い介入によって市中に人民元が放出され、これが過剰流動性となってバブルを拡大するという見方もありますが、過剰流動性を押さえ込む方法はいくらでもあるわけで、過剰流動性を防ぐために人民元を切り上げるなどという政策は本末転倒したものだと思います。実際、このところ銀行貸出抑制策などによって中国のマネーサプライの伸びは鈍化しており、人民元切り上げの必要性を説く論拠は後退しているように思われます。(最近、固定資産投資が再加速していることをもって、抑制策が効いていないという見方も出ているようですが、これは失業を増やさないように気をつけながら遠慮がちな抑制策を採っていることが原因であり、抑制策自体の効き目が薄いからではないことに留意が必要です)。


〔 中国にとってのデメリット 〕
 中国政府にとって、「政治の安定」は非常に重要な問題のようです。そもそも、あれだけ大きな国をまとめていくためには、政治的混乱を何としても避ける努力が必要なのでしょうし、政権交代後で権力基盤が確立していない時期はなおさらだということもあるでしょう。そして、政治が安定するためには何よりも国民が生活の改善を実感できることが重要であり、失業者が大量に増加するような事態は是非とも避けなければならないわけです。
 中国には無限の低賃金労働力があり、一方で旺盛な設備投資などが企業の生産性を急速に高めているため、あれだけの高成長を続けながらも深刻な失業問題が存在しています。こうした中で人民元を切り上げれば、農業などの比較劣位産業、効率の悪い国有企業などが打撃を受け、社会的弱者が困窮することが予想される以上、政治的な安定を重視する中国政府としては、軽々に人民元を切り上げるわけには行かないでしょう。
 政治的な安定化という意味では、今ひとつ問題があります。米国の圧力に屈して人民元を切り上げるような事態となれば、中華思想の国の中で政府の立場が大いに悪化するだろうと思われることです。したがって、中国政府としては、外圧に屈したように見える時期の切り上げは避けようとするのではないでしょうか。
 実務上の問題もあります。中国政府が断固とした姿勢を採っていれば、投機筋は人民元買いを思いとどまるでしょうが、少しでも柔軟な姿勢を見せれば世界中の投機筋がアタックしてくるでしょう。したがって、世の中の切り上げ観測が消えないと、切り上げは行ないにくいということになります。今少し貿易収支が悪化するまで待ち、「人民元の変動幅を広げた場合に、元が安くなるのか高くなるのか、市場の見解が一致しない」といった状態になったところで、はじめて変動幅を広げる可能性が出てくるのではないでしょうか。
 そのほかにも、中国の発展を牽引している直接投資が人民元高になると流入しなくなる、といったデメリットは数多くあります。
 また、人民元切り上げ前に行なっておくべき環境整備が出来ていないことにも留意が必要です。企業が人民元切り上げに備えてヘッジをしたくても、ヘッジ手段が限られているので、これを整備する必要があります。また、人民元の変動幅拡大などを資本移動の自由化とセットで行なうとすると、不良債権問題などをその前に解決しておく必要があるとも言われています。
 こうしたことを総合的に考えると、人民元が切上がる、あるいは変動幅が拡大していく、といったことは、近々起きるようには思われませんが、いかがでしょうか。


〔 おまけ1 〕
 人民元に関する「外圧」は、「固定相場制よりも変動相場制が望ましい」というものと「人民元は安すぎるので、切り上げるべき」というものに大別されます。表面的な発言はさておき、発言者の本音で区分すると、前者は学者などに多く、後者は政治家などに多いと言えるでしょう。もっとも、本音では後者であっても前者の発言をしている人が多いことには注意が必要です。米国政府なども「柔軟な為替制度が望ましい」と前者的な発言をしていますが、本音が後者であることは間違いないでしょう。
 後者的な本音を隠して前者的な発言をする人が多いのは、「自国の利益のために中国に切り上げを迫る」という姿勢が見え見えになるよりも「経済学理論によれば、変動相場制は双方の利益になる」と言った方が聞き手に与える印象がよいですし、現状で人民元が変動相場制になれば間違いなく人民元が高くなるでしょうから、結果として得られるものは同じだからです。
 もっとも、本音としての前者は学者の発言だとすると、中国にとっての「外圧」にはなりにくいでしょう。したがって、実質的な外圧としては後者だけを考えればよいということになるわけです。


〔 おまけ2 〕
 日本としては、人民元の切り上げ(あるいは柔軟性)を求めることは、国益に反すると思われます。世界最大の黒字国が二番目の黒字国に通貨切り上げを要求するということは、反撃を誘発する可能性がありますし、少なくとも自らの円高阻止介入の手足を縛るリスクは小さくないからです。また、そもそも人民元が割安であるという論拠も不明確です。その意味で、最近日本からの要求が沈静化していることは、望ましいことと言えるでしょう。詳しくは拙稿「人民元について」を御参照ください。


〔 おまけ3 〕
 そもそも固定相場制は、それほど問題のあるものなのでしょうか?先進国も戦後長らく固定相場制を採用していました。また、ユーロ圏は、「域内各国が対ドイツマルクで固定相場を採用した」と言うのが実体でしょう。
 経済の発展段階のことも考える必要があります。仮に米国的な市場メカニズム信奉が先進国には当てはまるとしても、それを無条件に途上国に当てはめようとすることは、妥当ではありません。多くの途上国は今でも固定相場制を採用していますし、中国が固定相場制を採用することに特段の問題があるようには思われません。
 発展段階ということで言えば、資本規制についても同様です。アジアの通貨危機を中国が免れたのは資本規制の存在が寄与したものであること、日本が資本規制を撤廃したのは1980年になってからであること、などを考えれば、中国が急いで自由化すべきであると言い切ることはむずかしいでしょう。
 話のついでに、今ひとつ発展段階の話をしますと、昨今の景気過熱への対応策も途上国として適切な措置だと思います。市場メカニズムによらずに銀行への行政指導で過熱を抑えるという方法は、戦後日本で行なわれていた「窓口規制」などと類似した方法であり、非難に値するようなものではないと思います。


〔 おまけ4 〕
 学者と政治家は、それぞれに固有の思考パターンを持っているので、注意が必要です。多くの学者は、「失業のある状態は異例であって、失業のない状態が通常の状態だ」ということを議論の出発点に持っていますので、失業の問題を気にしない傾向があります。そこで、「効率の悪い会社が潰れてくれれば人材が効率のよい会社に移れるので、経済はよくなる」といった発想をします。一方で政治家は、失業が増えることをおそれ、弱い産業でも保護しようとします。失業が気にならないような経済情勢であれば、学者と政治家が同じ意見を持つこともあるでしょうが、現在の中国は、失業問題が大いに気になる状況ですので、政治家と学者の考え方の差は比較的大きいと言えるでしょう。
 理屈は学者の方が通っているのかもしれませんが、世の中が学者が考えるほど理屈どおりに動かない(失業の存在はそれほど例外的なことではない)ということを考えると、失業問題回避を優先する政治家の姿勢も、あながち不合理とは言い切れないように思います。人手不足気味の経済状況のときに効率が悪い会社が生き残っていることは経済成長の妨げになりますが、失業問題が気になるときには効率のよい会社も悪い会社も「それなりに存在意義がある」からです。


〔 おまけ5 〕
 人民元の対ドル相場を固定しておくことが問題ならば、「円、ドル、ユーロのバスケット」にペッグすればよいという考え方があります。介入実務が面倒になる、個別企業の為替リスク管理が面倒になる、などなどの実務的な問題は多いようですが、理屈の上では合理的な選択肢だと思います。
 もっとも、ここで注意を要するのは、バスケットへのペッグは「固定相場制」であるということです。米国にとっては対ドル相場が動くようになって要求が通ったように見えるかもしれませんが、「固定的な為替相場から柔軟な為替制度へ」という提言には沿っていないのです。単にペッグの対象がドルからバスケットに変化しただけで、「人民元自体の需給を映じて為替相場が動く」ことにはならないからです。
 中国としてはバスケットへのペッグを採用することで、「米国に人民元の対ドル変動という名を取らせ、自分は実質的な固定相場という実を取る」ということが可能なわけです。その時に米国は、「人民元の為替制度は柔軟ではない」という批判を続けるのでしょうか?円高やユーロ高につられて人民元が対ドルで高くなれば、それで満足するのでしょうか?円安やユーロ安につられて人民元が対ドルで弱くなった場合にどういう反応をするのでしょうか?それによって米国の本音が読めるように思いますが、いかがでしょうか?


以 上

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