2006年09月27日

塚崎 公義

 

中国経済の中期展望(U)



(はじめに)
 2年前に中国経済について強気の中期展望を書きましたが、基本的な見方を変える必要は生じていないようです。今回は、中国経済の中期展望ついて考えて見ましょう。


(大局観は楽観)
 2年前の中期展望の要旨は、「中国経済のキーワードは「需要の強さは七難隠す」。潜在的な需要が強いため、景気が悪化しても引締め策を緩めれば景気は容易に回復する。借り手の過剰投資にともなう不良債権問題も、経済が発展して需要が供給に追いつけば解消する。財政赤字問題も経済規模が拡大すれば緩和する。結果として中国経済は、短期的な好不況の波を繰り返すことはあっても、中長期的に見ればおおむね順調に発展を続ける。」というものでした。今回も、基本的な認識は同じで、中長期的には強気の見通しを持っています。

 経済が発展するためには需要と供給が両方とも伸びていくことが必要なわけですが、中国はまさにこの条件を満たしています。需要面では、経済成長を見越した投資が急激に伸び、競争力を増しつつある輸出も急激に伸び、個人消費も(投資や輸出に比べて出遅れていると言われながらも)急激に豊かになりつつある国民が欲求を抑え切れないといった状況で二桁の伸びを見せています。供給面では、外資系企業の直接投資が引き続き高水準となっているほか、国内の資本も蓄積してきて国内資本による投資も活発に行なわれるようになっています。ひとたびこうした状態になると、売れるから作る→作るから雇う→雇われるから所得が増える→所得が増えるから買う、といった好循環が形成され、こうした循環を押しとどめる大きな力が働かない限りは好循環が続くことになるはずです。
 日本で言えば、まさに高度成長期ということですが、現在の中国は日本の高度成長期よりもさらに恵まれています。日本の高度成長期前半は、外貨が不足していて「国際収支の天井」によって成長が規定されていましたが、今の中国は巨額の外貨準備を抱えています(むしろ、増えすぎが問題とされているほどです)。日本の高度成長期後半は人手不足でしたが、今の中国は労働力が充分にあります(むしろ失業が問題となっているほどです)。
 もちろん、景気の波はあるでしょう。日本の高度成長期にも波はありました。中国はあれだけ大きな国ですし、統計が信憑性に欠ける面がありますから、政府・中央銀行による景気調節は目隠しをした運転のような難しさがあります。中期的には高成長が続くと思われますが、短期的な景気の振れが比較的大きくなる可能性には留意しておいた方が良いかもしれません。


(過熱と不良債権?)
 多くの人が、景気過熱が将来の失速に繋がることを心配しています。日本のバブルと重ね合わせているような議論も見られますが、その心配は小さいでしょう。日本のバブルは、不動産価格が高騰した後に暴落したという面と、設備投資が著増した後に需要が激減したという面が重なって大きな爪痕を残したわけですが、中国で同様の事態が生じる可能性は少ないでしょう。
 名目成長率が二桁の経済において、不動産価格が20%上昇したからといって、「明らかな上がり過ぎで調整不可避」と考える必要はありません。仮に不動産価格が調整したとしても、しばらくすれば名目GDPが増加して地価を再び押し上げてくれるでしょうから、日本のバブル崩壊時のように地価が下落し続ける心配はありません。
 過剰設備の問題についても、しばらくすれば経済成長により需要が増加して「過剰」な設備が活用されるようになるでしょうから、これも日本のバブル期の過剰設備が結局使われずに廃棄されたというようなことにはなりそうもありません。
 そもそも中国経済を「過熱」と表現すること自体にも問題があります。失業率が高く物価上昇率が低い中で、経済の一部が過熱しているとしても、経済全体が過熱していて急いで冷やさなくてはならないような状態とは言えません。設備に関しても、過剰が心配されている部分と不足が指摘されている部分があり、過剰部分の投資が減少する一方で不足部分の投資は増加することも見込まれており、経済がバランスを調整しながら全体として拡大していくというプロセスだと考えれば、過剰な心配は不要です。

 不良債権についても、たしかに巨額ではありますが、日本のバブル崩壊による不良債権問題と重ねあわせる必要はありません。邦銀は純然たる民間企業であり、不良債権問題による損失が資本を減らせば、それが直ちに銀行の倒産やBIS規制による貸し渋りなどに繋がりかねない体制になっていましたが、中国の主要銀行は国有であり、自己資本の毀損分は政府が埋めてくれますので、不良債権が倒産や貸し渋りに直結するわけではありません。日本でも政府系金融機関の不良債権が金融危機を招くと心配する人はいないでしょう。
 そもそも中国の国有企業が福祉などの機能を担ってきたことを考えると、本来財政支出となるべきものが国有企業の赤字となって溜まってきたと言えるわけです。その赤字が国有銀行の不良債権となっていて、その不良債権を処理したことによって国有銀行が自己資本不足に陥れば政府が穴埋めしてくれるということは、もともと財政で支出されるべきであった支出が結局財政で支出されることになったというだけのことでしょう。


(問題点は克服可能)
 その他にも、各方面で指摘されている問題点はたくさんあります。しかし、いずれも高度成長を止めてしまうような深刻なものではないようです。
 貧富の格差が拡大しているのは確かですが、貧しい人が以前より貧しくなったわけではありません。相対的に貧しくなった人々の不満は高まる可能性がありますが、根底には「それでも昔よりはマシだ」という意識がありますから、反政府運動が政情不安に繋がるといった可能性は大きくないでしょう。むしろ、貧富の差を縮めていくような政策が採られていき、農村などでの消費が拡大して高度成長が一層確実なものになるという可能性の方が大きいのではないでしょうか。
 資源が足りないという点についても、「中国の資源不足で中国が困る」のではなく、「中国の資源不足の影響は世界が負担する」ということに留意が必要です。中国の原油消費増により原油価格が高騰すれば、世界の消費者がこれを負担するのであって、中国経済だけが原油不足で失速するということにはならないわけです。
 国有企業などを巡る諸問題などの「計画経済の名残り」が成長を抑制するという見方もありますが、名残りが増えているわけではなく、着実に減りつつあることに留意が必要です。極論としては「名残りがあっても高度成長が出来てきたのだから、名残りが減っていけば成長が一層高まる」ことも考えられるわけです。


(日本との関係)
 中国経済が中期的にも高成長を維持するということは、日本経済にとってプラスの面が大きいでしょう。中国の消費者が豊かになればなるほど品質の高い日本製品の需要が伸びていくからです。中国製品の品質も向上していくでしょうが、中国製品と日本製品の間には品質面で大きな開きがありますから、追いつかれるまでには相当の時間がかかるでしょう。アジアの中進国の製品は中国製品に駆逐されてしまう可能性はありますが、そうなればさすがに人民元も大幅に切り上げられて中国製品の価格競争力が鈍ってくるでしょうから、日本製品が中国製品に駆逐されるということは、当分の間心配する必要はなさそうです。
 長期的な懸念材料としては、日本側の事情(団塊の世代の引退とゆとり教育世代の参入など)によって日本製品の品質が低下していき競争に負けてしまう可能性、中国経済の発展に伴って中国がアジアの盟主として君臨し、日本が「その他大勢」になってしまう可能性、などが考えられますが、そうした懸念は本稿の視野の外に置いておきましょう。


(悲観論に注意)
 中国経済に関しては、問題点を指摘して悲観論を述べる人が大勢います。思春期の若者が急速に成長しているようなものですから、時にはバランスが崩れることもありますし、大人から見ると危なっかしく見える面も多数ありますが、怪我をしてもすぐに回復して走り出すという若さがあるので、意外と大丈夫なのではないでしょうか。日本の高度成長期にも公害問題やインフレといった問題は指摘されていましたし、政治面でも外国から見ると学生運動の盛り上がりなどが不安材料視されていたのかも知れませんが、いずれも高度成長を止めてしまうような問題ではありませんでした。
 悲観論を述べる人には二種類あると思います。一つは本当に心配している人。「過熱していれるから反動が怖い」「不良債権が多いから金融機能の低下が心配だ」といった心配をする人がいるのは、ある意味で当然でしょう。一見すると、日本のバブル期と似た面があるため、同じようなことが起きるかもしれないと考えることは、ある意味では自然です。これに対しては、私なりの反論を上に記しましたので、両方を読み比べていただければと思います。
 今一つは、本当はそれほど心配していない人です。大きな組織の中には、保険をかけているところもあるでしょう。「晴れ時々曇り、場合によっては一時雨」という天気予報の如く、外れることはないけれど、結局どうなるのかよくわからないというものです。こうした予測も、「どういう場合にはどうなる」という論理が示されていれば、それなりに読者の理解を深める役に立ちますし、自分が想定している状況のもとでは何が起きるのかということを自分なりに考える際には大いに有効な手助けとなるでしょう。
 目立とう系の人々の中には、悲観論の方が楽観論よりも目立てるからという理由で悲観論を述べている人もいるでしょう。必ずしも目立とう系ではなくとも、「不安材料を述べておいたほうが賢そうに見える」「悲観論がはずれても誰も怒らないが、楽観論が外れると怒られるから、悲観論を述べておいた方が得である」「日本人の読者は楽観論よりも悲観論の方を信じる傾向にある」といったことから悲観論を述べている場合もあるでしょう。(筆者自身の経験で言えば、筆者が駆け出しのエコノミストであった頃、バブル期で来年の景気には一点の曇りもありませんでした。その通り書いたところ、上司から「何でもよいから心配の種を最後に一つだけ付け加えろ」と教わって、「景気には一点の曇りも無いが、日米貿易摩擦は心配である」と書いた覚えがあります)。
 悲観論を読む時には、書き手が何を考えて悲観論を述べているのかを考えると、いろいろな事が見えてくるかもしれませんね。


 


以 上

本稿は筆者個人の見解であり、筆者の属する組織などの見解を示すものではありません。
また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。
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