2007年01月15日

塚崎 公義

 

米国経常収支赤字のサステナビリティーについて


(はじめに)
 不均衡というものは、通常は不安定の源です。しかし、現在の世界経済を見渡すと、米国の経常収支赤字、中国国内の貧富の差、需給アンバランスによる資源価格の高騰、といった不均衡が、世界経済をむしろ安定化させる方向に作用しているようにも見えます。今回は、米国の経常収支赤字の効用とサステナビリティーについて考えてみましょう。


(タイの通貨危機)
 アジア通貨危機から10年が経とうとしていますが、これだけ資源価格が高騰する中で、資源の無い途上国がどこも資金繰りに窮しておらず、カントリーリスク情勢は不思議なほどの落ち着きを見せています。その最大の理由は米国が巨額の経常収支赤字によって各国に資金を供給していることです。では、米国が経常収支赤字を続けていることには問題がないのでしょうか。タイで10年前に起きたことと同じことが米国に起きる可能性はないのでしょうか。結論から言えば、心配は無用です。米国が経常収支赤字を続けることは、タイが経常収支赤字を続けることと決定的に違うからです。

 タイが大幅な経常収支赤字を続けて対外赤字が累積すれば、いつかはドル建ての借金が出来なくなってバーツを使ってドルを買う必要に迫られるため、タイバーツの需給が崩れ、バーツの相場が暴落する可能性があります。しかし、外国にはバーツ安で困る人は少ないので、誰も助けてくれません。(タイ製品と競合している国は困るでしょうが、そうした国にはバーツを買い支える力はないでしょう。IMFなどが支援してくれる場合もありますが、レートを元に戻してくれるわけではありません)。タイの経常収支赤字分は基本的に外国からのドル建ての借金でファイナンスされていますから、タイ国内にはドル建ての借金を抱えている人が大勢います。バーツ安によって、借り手がドル建ての借金を返済するためには従来よりもはるかに多くのバーツが必要となるため、破産する借り手も出てくるでしょう。また、バーツ相場を防衛するために高金利政策が採られるでしょうから、これによって景気が大幅に悪化することも覚悟する必要があるでしょう。短期的には景気が悪化することで輸入が減って経常収支が黒字になるでしょうし、中期的にはバーツ安による輸出増加で経常収支が黒字になるでしょうから、調整メカニズムが働くことは間違いないのですが、その間にタイ(および競合している国)は大変な苦難を味わうことになるわけです。


(米国とタイの違い)
 しかし、米国が大幅な経常収支赤字を続けて対外赤字が累積しても、ドルが暴落(注1)する心配はありません。世の中ではドルの暴落を心配している人が大勢いますが、仮にドルが暴落すれば、世界中が自発的に助けてくれるでしょう。それは、ドルが基軸通貨であることによって、世界中の貿易がドルで行なわれているために、タイバーツの暴落と異なり、ドルが暴落すると困る人が世界中にいるからです。日本について言えば、ドル暴落とは超円高のことであり、日本経済を守るために日本政府が介入せざるを得ないでしょう。介入して買ったドルは、米国債の購入という形で米国に還流するでしょう。中国をはじめ、多くの国は同様に政府がドル買い介入をして資金を米国に還流させるでしょう。したがって、米国が困る(注2)前にドル安は止まり、経常収支赤字分の資金は還流して来るわけです。そうなることが分かっているので、海外の民間資金も安心して米国向けに投資されます。したがって、ますますドル暴落の可能性が低下するというわけです。

 欧州諸国は例外で、ユーロ高ドル安をあまり気にしないため、介入しないかもしれません。これは、ユーロ高で対米輸出が減ることよりも、ユーロ高で物価が安定して金融政策が緩和されることの方が望ましいという判断なのでしょう。そうであれば、ユーロ高でかつ欧州の好景気ということになり、欧州の輸入が増えるでしょう。米国には輸出産業が少ないので、米国の対欧州輸出が増加する効果は小さいでしょうが、無いわけではありませんし、欧州からの輸入が減る効果も少しは期待できるでしょう。それ以外にも、米国にはメリットが生じ得ます。たとえば中国が欧州向けにドル建ての輸出を増やしたとします。欧州企業はユーロをドルに替えて支払いますから、ユーロ高ドル安が緩和されるでしょう。一方で中国企業は輸出したドルを売却しますが、それによる人民元高を防ぐために中国政府が介入するでしょうから、資金は米国に流れるでしょう。

 このように、米国が基軸通貨国であることによって経常収支赤字を続けても困らないメカニズムが働いているわけです。

 米国が「ツケで飲む客」であるという観点からも、興味深い事が言えます。信用力の無い客がツケで飲むことには限界があるでしょうが、米国は信用力のある客なので、ツケが溜まっても誰も困りません。更に言えば、米国の書いた借用証書は裏書すれば原油購入代金に使えますから、タイの借用証書とは益々違うというわけです。むしろ、米国がツケを気にして飲まなくなったら飲み屋が大いに困るでしょう。非産油途上国の資金繰りが廻っているのは米国が書いた借用証書のおかげであることを思い出しましょう。


(遠い将来のドル暴落?)
 では、こうしたメカニズムが働かなくなる可能性はあるのでしょうか。理論的には、「日本が円の対ドル相場を気にしなくなった場合」で、かつ「米国がツケで飲むことを飲み屋が拒否するようになった場合」でしょう。それは、ドルが基軸通貨を降り、日本の貿易がユーロか人民元で行なわれるようになった時でしょうから、数十年先のことでしょう。そもそも現時点ではユーロや人民元が基軸通貨になる条件が整っていませんし、仮に将来条件が整ったとしても、基軸通貨には慣性の法則が働くため、実際に交代するまでは長い期間を要するでしょう。ポンドからドルに基軸通貨が交代した時も、そうでした。また、基軸通貨が交代した後も、米国経済に魅力があれば、ドルの暴落は限定的でしょう。ドル暴落で米国企業が安く買収できるようになれば、世界中から買収資金が流入することで、ドルが戻るからです。したがって、米国企業に魅力がなくなるか、米国の対外債務が大きすぎて米国企業の買収資金が流入しただけでは足りないといった事態が生じるまでは、安心していてもよいようです。

 それでも数十年後の暴落が心配だという方のために、保証はいたしかねますが、気休めとしての安心材料を御提供しておきましょう。

 気休めの第一は、長期的に見て緩やかなドル安が続くことで、米国の経常収支赤字が減少していく可能性があることです。欧州は介入に熱心ではありませんから、米国の赤字に素直に反応してユーロ高が進んでいく可能性があります。中国は、いつまでも巨額の黒字を続けて外貨準備を貯め続けるわけにもいかないでしょうから、人民元レートを少しずつ切り上げていくでしょう。

 気休めの第二は、米国は少子高齢化のスピードが遅いということです。30年後には、日本は少子高齢化によるISバランスの悪化(平たく言えば、作る人と使う人の比率が変化することで貿易収支が赤字になるという現象)によって経常収支赤字に苦しんでいるかもしれません。中国も、一人っ子政策の影響が本格化して老人比率が高まっているでしょう。一方で米国は、出生率が比較的高いこともあり、それほど少子高齢化を気にする必要はなく、相対的には有利な位置にあると言えるでしょう。

 今一つの気休めは、米国を巡る資金フローが活発で、経常収支赤字のファイナンスにとどまっていないという事から来ます。この結果、米国は対外債務と対外資産がともに巨額で、2005年末の海外から米国への投資残高は12.5兆ドル、米国から海外への投資残高は10兆ドルとなっています。対外債務はほとんどがドル建てでしょうが、対外資産は現地通貨建ての部分も多いと思われます。このことは、仮に対外資産が全額現地通貨建てだとすると、ドル価値が25%下落しただけで米国の対外純資産のマイナスは自動的に消えてしまうことを意味しています。

 余談ですが、遠い将来の話をするのであれば、ドル暴落の心配よりも円暴落の心配の方が先かも知れません。少子高齢化が進むと同時に、勤勉や節約といったものに対する価値観が従来と大きく異なる世代が経済の中心になってくるとすると、日本の経常収支は赤字となり、ドルと円との交換比率はドル高になっていく可能性が高いのではないでしょうか。


(注1)  本稿でドルの暴落とは、日本などの実体経済が適応出来ないほどのドル安水準になるというイメージです。たとえば明日急に1ドルが120円から105円になったとすれば、価格変化は急激かつ大幅なものと言え、市場関係者は「暴落」と感じるでしょうが、これは基本的には本稿の考察対象ではありません。

(注2)  米国の債務はドル建てですから、タイと異なって自国通貨が暴落しても債務の返済に困るということはありません。米国でドル暴落の影響として心配なのは、ドル暴落の懸念が高まると、日本などの投資家がドルを売る前段階として保有している米国債を売り、米国の長期金利が高騰する可能性があるということです。しかし、これも極端なことにはならないでしょう。イールドカーブが立てば、米国人投資家が長短金利差を取りに長期債投資を行なうでしょうし、日本人投資家なども、混乱が収まれば再び米国債を購入するようになるからです。



 


以 上

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