2007年05月15日

塚崎 公義

 

今の円安はバブルか


(はじめに)
 このところ、為替レートは1ドル=120円前後で安定した推移を続けています。しかし、対ユーロで見ると円は最安値圏にありますし、他の多くの通貨との関係も数年前に比べてはるかに円安となっています。
 経常収支が大幅黒字なのに円安なのはバブルだという人もいますが、どうなのでしょうか。今回は円安がバブルであるのか否かを考えてみました。

(円安はバブルか)
 日本経済がバブル後遺症を克服して、景気も拡大しつつあり、経常収支黒字も拡大している時に、円安が進むのは、不思議なことです。水準の面でも、今の円相場は相当に円安だと言えるでしょう。日銀の発表している実質実効為替レート(貿易相手国との間の物価上昇率格差を考慮し、かつ米国以外の貿易相手国の通貨との関係も含めて計算した円の価値。数値が大きくなるほど円高であることを意味するもので、「輸出しにくさ指数」であると考えることが出来る)は、プラザ合意当時の水準近くにまで戻っています。そもそもプラザ合意が円安を是正するものであったこと、その後日本の輸出競争力が格段に強化されたこと、などを考えると、「現在の円相場はファンダメンタルズから大きく乖離しているのだからバブルである」と考える人がいても不思議ではありません。
 バブルであると考える人の今ひとつの根拠は、「円キャリー取引」と言われる取引(金利の安い円を調達してドルやユーロの資産などを購入する取引)の影響で円安になっている面があることでしょう。こうした取引は、単に金利差を利用しているのみならず、「円安が円安を呼ぶ」という期待に基づく部分もあると言われていますから、市場の期待が一変すればポジションの巻き戻しによる急激な円高が進むという可能性もあるということでしょう。
 しかし、現在の為替レートがバブルであると考える必要はないと思います。円キャリー取引が反転して急激な円高になる可能性は否定しませんが、それは通常の為替市場で生じている変動であって、バブルとは呼べないでしょう。

 バブルという言葉は、二通りの意味で使われているようです。典型的なのは投機が投機を呼ぶ場合で、「現在の市場価格は誰が見てもファンダメンタルズから大きく乖離しているから、いずれ修正される可能性が高いが、少なくとも明日は更に乖離するだろうから、今日買って明日売れば儲かる」という投機による短期売買が蔓延し、価格がファンダメンタルズからますます乖離していくというものです。
 今一つは、「広義のバブル」とでも呼ぶのでしょうか、現在の価格は現在のファンダメンタルズを反映していると人々が考えているが、ファンダメンタルズに関する人々理解が大きく誤っている場合です。80年代後半のバブル期には、「日本経済は世界一だから、この程度の地価や株価の上昇はファンダメンタルズから乖離しているとは言えない」と考えていた人も多かったでしょうから、後者のバブルだったのでしょう。もっとも、今回は広義のバブルの可能性は考えなくてもよいでしょう。「日本はダメな国だから、現在の円相場はファンダメンタルズを映じたものだ」といった方向に市場が大きく傾いているようには思えないからです。
 典型的なバブルである可能性も小さそうです。それは、「いつかは戻るだろう」と考えている人が少ないからです。「いつかは戻るだろうが、明日までは大丈夫だろう」と考えて、危険な賭けだと思って投機を行なっている人々が主流であると、何かのきっかけによって水鳥の羽音に驚くように動揺した人々が一斉に手仕舞うことで相場が急激に反転する可能性があります。それが何時起きるのかは予想できませんが、いつかは起きる(=バブルが崩壊する)ことが予想され得るわけです。しかし、「このまま続くだろう」と考えている人が多ければ、何事も起きずに円安水準が続くだけかもしれませんし、一時的に円高が進んでも、狼狽売りで相場が急落するといった可能性は小さいでしょう。そうであれば、こうした円安はバブルとは呼ばないでしょう。

(ファンダメンタルズに戻らない理由)
 では、なぜ「ファンダメンタルズから大きく乖離している」のに、いつまでも戻る力が働かないと考えられているのでしょうか。それは、ファンダメンタルズに引き戻す力が弱い一方で、ファンダメンタルズから乖離させる力が働いていることが原因だと思われます。
 経常収支を均衡させる為替レートが「ファンダメンタルズ」であるとすると、円安は経常収支を黒字にします。これにより、輸出企業のドル売りが円を高くするメカニズムが働くことになります。今回も、そうしたメカニズムが働いていることは疑いありません。もっとも、経常収支黒字20兆円のうちで14兆円は利子・配当収入ですから、「外貨預金を利息ともども自動継続する」といった取引が多いのかもしれません。輸出企業は受け取ったドルを円に換えて従業員に給料を支払う必要がありますが、対外投資を行なっている資金には、そうした必要性は薄いからです。
 一方で、外貨建て投信などの形で海外に投資される個人マネーが増えており、これが円をドルに換える取引を伴うために、輸出企業のドル売りの効果を相殺する働きをしているわけです。日本の個人金融資産は1500兆円以上あります。これに対し、経常収支黒字は20兆円程度です。したがって、個人金融資産の1.3%が海外資産に投資されただけで、経常収支黒字の円高圧力が消えてしまう計算になるわけです。個人金融資産が外貨建て資産に向いている理由は定かではありませんが、「預金者が円預金の金利の低さに閉口している」「銀行が手数料稼ぎのために熱心に投信を販売しており、売れ筋である外貨建てを客に勧めている」「71年から95年までの間に1ドルが360円から80円になり、外貨資産という単語がほぼ為替差損と同義語であった時代から、10年以上も円高を経験しない時代となり、昔の恐怖心が薄れてきた」「少子高齢化で日本経済が長期的に衰退していくこと(=長期的に円安になる可能性)が視野に入って来た」といった要因が効いているのかもしれません。

 今一つ、経常収支黒字が拡大すると外国政府が日本の輸出攻勢に苦情を言う(=日本に円安是正を要請する)というパスも考えられますが、今回はこのパスもあまり働いているようには思われません。米国は基軸通貨国であることから、そもそも経常収支赤字自体をあまり気にしません。景気悪化で失業が増えれば日本の輸出が槍玉に上がる可能性もありますが、今回は失業が問題となっているわけではなく、日本より中国に矛先が向いています から、米国の円安是正要請という可能性は小さいでしょう。ユーロ圏諸国などは、対円レートが大幅な円安となっていますが、自国通貨の対ドルレートが高くなっていることが主因であって、円が対ドルで安くなっているわけではないので、批判しにくいということもあるのでしょう。また、ユーロ圏などではインフレ抑制が政策目標として重要であるため、自国通貨高はインフレ抑制をもたらすという意味で歓迎されるという面もあるようです。
 もちろん、米国にもユーロ圏にも円安を問題視する声があることは間違いありませんが、マスコミがそうした声をことさらに採り上げて問題視するとすれば、その方が問題です。たとえば、マスコミにはあまり出ませんが、欧米の消費者は円安で日本製品が安く買えるというメリットを享受しています。外国政府が対日円安要求を行なうか否かを判断する際には、そうした様々な利害を総合的に判断するわけですから、一部の声に過剰反応して心配する必要はないでしょう。

(頭の体操)
 ここで、頭の体操をしてみましょう。やや極論ですが、発想の転換をすると、今の円相場は「ファンダメンタルズ」に合っていると言えるのかもしれません。日本は国民が「よく働いて倹約する」からモノが余る国、米国は国民が消費好きなのでモノが足りない国だとしましょう。日本から余ったモノを輸出して、その代金を「ツケ」にしておくということは、両国にとって望ましいことです。そうした望ましい姿が実現している状況を「ファンダメンタルズ」だと考えれば、現状こそファンダメンタルズだと言えるでしょう。
 ファンダメンタルズであると言うためには、そこから外れた場合に戻ってくるメカニズムが必要なわけですが、そのメカニズムは両国の金融政策にあると考えられます。モノ余りの日本は金融緩和、モノ不足の米国は金融引き締めをします。すると、日米金利差から日本人の外貨建て投資が増加し、円安が日本から米国へのモノの流れを促すというわけです。そうだとすると、「今の姿が正常であり、経常収支が均衡する為替レートなど成立するはずが無いし、成立しなくて良いのだ」ということになるでしょう。本当にそうならば、日本にとって大変都合がよいのですが、如何なものでしょうか。

 さて、為替レートを予測することはほとんど不可能ですから、実際には近い将来に急激に円高が進むかもしれません。たとえば何らかのきっかけで円キャリー取引が巻き戻されて円高となり、個人投資家が「10年以上忘れていたが、やはり外貨資産は為替リスクがあって怖いものなのだ。もうやめよう」と考えるようになるかもしれません。海外に向かっている大量の個人マネーが一斉に国内回帰すれば、急激な円高になるでしょう。では、仮にそうなった場合、「円安バブルが崩壊した」ということになるのでしょうか。バブルという言葉をどう定義するかということでしょうが、「美人投票」の世界では市場の思惑で為替が動くことは通常のことであり、その幅が大きくなったからといって「バブル」と呼ぶことは適当ではないでしょう。逆に、これをバブルと呼ぶならば、為替市場には毎日のように「小さなバブル」が発生していることになってしまうからです。

 最後に、今回は触れませんでしたが、経済学的に円安のバブルをどう考えるかは、難しい問題です。御興味のある方は拙稿「株安、円安のバブルは成立し得るか」を御笑覧いただければ幸いです。




 


以 上

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