2013年05月06日

塚崎 公義

 

アベノミクスで物価は上がるか



(はじめに)
 日銀は、消費者物価上昇率2%を目標と定めました。 しかし、これは達成が難しいというのが大方の見方です。 筆者も、金融緩和で物価を上昇させるのは難しいと考えています。 今回は、その理由について考えてみましょう。


(貨幣数量説的なインフレ?)
 物価が上がるとすると、
1.貨幣数量説が想定する経路で上昇する、
2.人々が物価が上がると思うから上がる、期待の効果、
3.景気が好転することで財やサービスの需給が好転して物価が上がる、
4.大幅なドル高になり、輸入物価が上昇して消費者物価が上がる、
という経路が考えられます。

 1.は、実物取引が増加しないうちに世の中に出回る資金の量が増えるという事が前提となっていますが、そうしたことは起こりそうもありません。 実体経済に変化がなければ、銀行は日銀に売却した国債の代金を日銀に預金するだけなので、世の中に出回る資金の量が増えないからです。
 あり得るとすると、株や土地の取引が活発化し、そのための資金が銀行から世の中に流れ出ていく場合でしょう。 その場合には、市場に出た資金は株や土地の取引に使われるので、実物の取引に使われるわけではありません。 したがって、貨幣数量説的な貨幣の流通速度(一単位の貨幣が実物取引に使われた回数)は低下することになるので、世の中の資金の量の増加は物価上昇には結び付かないのです 。 *1


(インフレ期待でインフレ?)
 ドルや株は、「人々が値上がりを予想すると、買い注文が増えるので、実際に値上がりする」という効果が見込み得ます。 金融市場のプロたちの間では、「日本が金融緩和をすればドル高になる」という理屈を正しいと考えている人が少なからず存在し、彼らがドルを買うので、ドルが値上がりする可能性があります。 そうなると、その理屈自体には疑問を感じている人々もドルを買う事になり、実際にドルは大幅に値上がりするかもしれません。
 しかし、消費者物価の対象である財やサービスについては、そうした事は起こりそうにありません。 そもそも人々の予想が変わるとは考えにくいでしょう。 カブを売っている八百屋も買いに来る消費者も、金融が緩和されたらカブが値上がりするなどとは考えていないからです。
 また、仮に人々の予想が変わったとしても、財やサービスは、人々が値上がりを予想するから買いが増えて値上がりする、というものではありません。 たとえば理髪の価格が上昇すると予想した人が来年の分まで今年理髪店に通う事はありませんし、理髪店が今年は休んで来年2倍働くという事もありません。 カブの値上がりを予想した人が今年カブを二つ食べて来年は我慢する、という事も考えにくいでしょう。 これは、株やドルと異なり、財やサービスが貯めておけないからです。
 耐久消費財であれば、来年の値上がりを予想して、テレビの買い替え時期を1年早める人がいるかもしれません。 しかし、それでもテレビの値上がりは限定的でしょう。 国産テレビが大幅に値上がれば、テレビの輸入が増えるので、需要の増加が値上がりには直結しないからです。 また、翌年は需要の反動減でむしろ物価は下がるかもしれません。


(景気回復でインフレ?)
 株高やドル高で、消費が活発化したり輸出が増えたりすれば、景気が回復するでしょう。 景気の回復は財やサービスの需給を逼迫させて値上がりの原因となるでしょう。 しかし、実際に値上がりするのは景気が大幅に回復した後のことであり、2年程度では難しいでしょう。 小泉内閣当時はドル高円安になり、景気拡大も相当長期間続きましたが、物価が上昇するには至らなかったのですから、今回も簡単ではないはずです。
 財については、需要が増加すれば輸入が増えるので、需給の逼迫で価格が上昇する事は容易ではありません。 あるとすれば小売り店のコストが高騰して財の小売価格が上昇する場合ですが、これも簡単ではありません。 小売店のコストのうち、家賃はそれほど上がらないでしょう。 バブル期に地価が高騰した際も、家賃はそれほど上昇しませんでした。 光熱費は、ドル高がすすめば上昇しますが、これについては後述します。 小売店のコストの中で重要なのは、人件費です。人件費は労働力の需給で決まりますが、需給が引き締まるまでには相当長い道のりが必要です。
 現在は、多くの企業が余剰労働力を抱えています。 社員の数に比べて仕事が少ないのです。 したがって、景気が回復して仕事が増えても、社員が忙しくなるだけで、雇用は増えません。 雇用が増え始めても、失業者が減るだけですから、「賃金を上げないと人が雇えない」といった状況になるには時間がかかります。
 失業者がいなくなると、職探しをあきらめていた女性や高齢者などの潜在的な失業者が労働市場に参入して来ます。 また、労働力が非効率な分野から効率的な分野にシフトします。 まず、失業対策として行われていた公共投資が行われなくなることによって建設労働者が労働市場に出て来ます。 また、赤字の零細商店主が、働き口が無いために店を閉められずにいるケースでは、働き口が見つかれば零細商店を閉じる事ができるようになるでしょう。 景気回復がサプライサイドを効率化するのです。
 さらに景気が回復すると、いよいよ労働力の対価である賃金が上昇しはじめますが、そうなると企業は省力化投資を積極化するでしょうから、賃金の上昇は景気回復のペースに比べて緩やかなものとなるでしょう。 賃金の上昇により、非効率な企業が淘汰されて労働力が効率的な企業に移動することも期待されます。 これも景気回復によるサプライサイドの効率化です。
 また、家賃や賃金などのコストが多少上昇したとしても、それが直ちには売値の上昇につながらない、という事も重要です。 景気回復によって小売店の売り上げが増えれば、売り上げ一個あたりのコストはそれほど上昇しないからです。

 ここまで、景気が回復しても財の価格は簡単には上昇しない、ということを記してきましたが、サービスの価格についても考え方は同じです。 理髪の主なコストは、家賃、光熱費、人件費ですから、小売店のコストと大きくは変わりません。 したがって、景気が回復して理髪店の来店客数が増えれば、人件費などが上がったとしても理髪一回あたりのコストは簡単には増えないのです。


(ドル高で輸入インフレ?)
 ドル高が続くと、輸入物価が上昇しますから、これが消費者物価に転嫁されてインフレとなる可能性はあります。 しかし、瞬間的にインフレ率が高まることはあり得ても、ドル高によって持続的に2%の物価上昇率を維持していく事は非常に困難です。
 日本の輸入はGDPの6分の1程度なので、単純に計算すると輸入価格が12%上昇すると諸物価が2%上昇することになります。*2 このペースを維持するためには、単純に計算して、1ドル100円をスタートとして4年後には1ドルが150円になることが必要なのです。 これは到底現実的ではありません。


(複合効果)
 ここまで、4つの経路について、それぞれ可能性が高くないことを記してきましたが、これらの複合的な影響が出るとすると、話は変わって来ます。 ある程度景気がよくなり、財やサービスの需給が引き締まって来た段階で、人々が物価の上昇を予想するようになるとします。
 そうなると、買い急ぎや売り惜しみは出なくても、売り手が強気になって値上げをするようになります。 一人の売り手だけが値上げをすると客をライバルに取られてしまいますが、全員が一斉に値上げをすると、そうした事は起きません。
 これは、「人々が物価の上昇を予想すると物価が上がる」ということですが、ここでは「売り手が他の売り手の値上げを予想すると自分も安心して値上げをすることが出来るので、結果として皆が値上げをし、物価が上昇する」ということを意味しているわけです。
 買い手の側も、景気の回復によって全体としての所得は増えていますから、値上げされても購入量はそれほど減りません。 そうなると、売り手は一層強気になって値上げをするかもしれません。
 そうした状況になれば、消費者物価上昇率が2%を超える事は充分に考えられます。 コストが上がって値上げをせざるを得なくなるのではなく、それよりも早いタイミングで利益拡大を狙った値上げが一般化する、というわけです。 国内需給が引き締まった時にドル高で輸入価格が上昇していれば、輸入品が国内需給を緩和する事が困難なので、物価は更に上昇しやすくなるでしょう。
 もっとも、こうした状態になるには、普通に考えれば2年以上かかります。 日銀は「2年程度のうちに」2%が達成できるとしていますが、難しいでしょう。


(国民生活は豊かになるのか)
 2年以上先の事だとは思いますが、景気拡大によって物価が2%上昇するようになるとして、国民の生活はどうなるのでしょうか。 当然ながら、所得が増えない人もいますので、全員の生活が向上するというわけではありませんが、多くの国民はメリットを受けるはずです。 富裕層は外貨や株式などに資産を分散している人が多いので、既にメリットを享受しているでしょう。 失業者、潜在的失業者などは、仕事にありつけるので、これもメリットを実感できるでしょう。 中小零細企業の経営者も、売上と利益が増えるため、メリットを実感できるでしょう。 問題は、普通のサラリーマンです。
 かつての日本企業は、利益が増えると従業員に積極的に分配していましたが、最近では内部留保にまわす傾向が強まっています。 従業員主権から株主主権に企業の考え方が徐々に変化していることが主な理由なのでしょうが、金融危機などで貸し渋りを経験した企業が資金繰りの安全策として手元資金を潤沢に持っておくようになっている事も関係しているのかもしれません。
 リーマン・ショック前の景気拡大局面では、サラリーマンの所得が増えず、「景気回復が実感できない」と言われていました。 今回もそうなる可能性はあると思われます。前回は物価が上昇しなかったので、問題はありませんでしたが、今回は物価が上昇するとなると、一般のサラリーマンの生活が景気拡大にもかかわらず苦しくなる、という可能性も出て来ます。
 安倍内閣は、企業に対して賃上げなどを要請しています。 現段階では時期尚早な気もしますが、景気が今少し回復して物価上昇の気配が出てきたら、本気で要請して欲しいと思います。 企業の方も、その折には積極的に要請に応じて、あるいは自発的に賃金を上げて欲しいと思います。 額に汗して働いている人々が報われる事は、大変重要な事であり、株主主権になってもその事の重要性は少しも変わらないからです。


(2%で止まるか)
 ひとたび物価が上昇し始めると、上昇率が高まっていくメカニズムが働きかねません。 そこで今度は、2%で止まらずに物価が高騰してしまうリスクが出て来ます。
 人々がインフレを予想すると、借金をして投資をする企業が増えて来ますから、資金が銀行から世の中に出回るようになりますし、取引も活発に行われるようになるでしょう。 そうなると、貨幣数量説的なインフレも加わるかもしれません。
 インフレになると労働者が賃上げを要求しますし、企業も儲かっていますから賃上げに応じます。 問題は、企業の中には儲かっていない企業(あるいは産業)もあることです。 そうした企業は値上げをせざるを得ません。 この場合、同一産業の企業は、ライバルが値上げする事が容易に予想できますから、安心して賃金コスト上昇を価格に転嫁することが可能です。
 こうなると値上げが値上げを呼びますから、物価上昇率は2%を超えて高まっていきます。 そうなると、今度は日銀が金融の引締めによって物価を抑えることになりますが、この場合も2%では止まらずに再びデフレに陥ってしまう可能性もあるでしょう。 要するに、物価の変動が大きくなるのです。

 人々の期待(経済学では予想という意味。ここでも同様)に働きかけて経済を動かすという事は、出来ない事ではありませんが、経済のコントロールは困難になります。 どの程度金融を緩和すれば人々の期待がどの程度変わるのか、という関係が一定していないため、望ましい期待の変化を実現することがそもそも容易ではありません。 加えて、ひとたび人々の期待が変化すると、皆が一斉に行動を変化させるので、経済の様子が一気に大きく変化することになります。 喩えてみれば、気まぐれな暴れ馬に乗るようなものです。平穏な旅は到底望めません。
 しかしそれでも、こうした変動は、日本経済を長期的な低迷から脱させるために仕方の無い「コスト」だと考える事は可能です。 このまま徒歩で砂漠を行くよりは、暴れ馬にでも乗った方が良い、という消去法的な判断です。
 アベノミクスは、暴れ馬に乗ることを選択しました。 国民もそれを支持しています。あとは、黒田日銀が、可能な限り変動を小さくしてくれる事を望むしかありません。 決して容易ではないと思いますが、是非とも頑張っていただきたいと思います。

 今回は以上です。

*1
 バブルの時には、世の中に出回る資金の量が猛烈に増えましたが、実物取引量も取引価格もそれほど増加しなかったので、貨幣数量説的な定義による資金の流通速度(=資金の量を実物取引で割った値)は遅くなりました。資金は土地や株式の取引で動き回っており、実物取引に関係する所ではそれほど動き回らなかったので、全体の資金の量と実物取引の関係だけを見ると、資金の動きが遅くなったように見えたのです。
 今回も、実物取引が活発化する前に世の中に出回る資金が増えるとすると、株や土地の取引が増える場合でしょうから、バブルの時ほど極端では無いにしても、貨幣数量説的に言えば資金の流通速度が低下することになると思われます。

*2
 実際には、ドルが12%高くなっても、消費者物価に与える影響は2%を下回るでしょう。第一に、輸入の中には円建てのものが含まれているからです。この部分の価格上昇率は、円建て価格の引き上げがあったとしても12%よりも低くなるでしょう。
 第二に、輸入価格の上昇を消費者物価に転嫁できるためには、比較的景気が良好である必要があります。現状では、容易には転嫁できないケースも多いでしょうし、2年後に状況がどこまで好転しているのか、定かではありません。
 第三に、これが最も重要なのですが、消費者物価はGDPの他の項目と比べた場合、輸入物価よりも賃金の影響を強く受けます。つまり、諸物価(GDPの平均)が仮に2%上がったとしても、消費者物価上昇率はそれよりも低くなるのです。
 第四に、輸入物価が上昇すると、人々が輸入品を使わずに割安な国産品を使うようになるので、輸入がGDPの6分の1よりも小さくなっていきます。最後に、細かいことですが、輸入がGDPの6分の1だとすると、諸物価の上昇率は輸入物価上昇率の6分の1ではなく7分の1になります。輸入を差し引く前のGDP全体に影響が拡散されるからです。

 




 


以 上

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