2015年04月05日

久留米大学商学部教授
塚崎 公義

 

アベノミクスの狙いと成果


(1) アベノミクス以前の長期不振

   (不振の原因に関する論争)

 日本経済は、終戦から1990年頃まで、比較的順調に成長・発展して来たが、80年代後半のバブルが90年頃に崩壊した時点を境として、長期的な不振に陥り、20年以上にわたり「概ねゼロ成長」を続けることとなった。この間、大胆な金融緩和が行われ、1999年頃からは、短期金利が概ねゼロ近辺で推移することとなった。その頃から物価上昇率も概ねゼロとなり、成長率も金利もインフレ率もゼロ近傍、という状態が10年以上も続くこととなったのである。
 

図表1

図表2


 バブル崩壊前と後の様相が余りに異なっていた事から、長期不振について様々な原因や処方箋などが語られたが、原因についての究明という面でも不振からの脱出という面でも、目立った成果は見られなかった。
 不振の原因については、需要が不足しているという説と供給サイドに問題があるという説が対立していた。まず、需要不足説に基づき、巨額の公共投資などの景気対策が何度か試みられたが、長期不振から脱する事は出来ず、そのうちに景気対策のための出費から財政赤字が膨らみ、財政再建の要請から景気対策の継続を断念する、という事が何度か繰り返された。
 バブル以前の日本では、不況対策は公共投資という認識が一般的であったが、バブル崩壊後に巨額の公共投資を繰り返しても景気が回復しなかった事から、次第に公共投資に対する国民の期待が低下していった。この間、巨額の財政赤字が続き、政府の債務が拡大を続けた事から、財政再建を重視する人々が公共投資に対する批判を強めた事も、公共投資のイメージの悪化につながった。
 更に、公共投資の中には、利用者の少ない道路などが含まれていたこともあり、公共投資は税金の無駄遣いである、という認識が国民の間に広がって行った。
 このため、公共投資の規模はバブル崩壊直後に増大したのち、長期的に縮小トレンドを描く事となった。印象的であったのは、小泉政権や民主党政権などが公共投資を抑制する姿勢を明確にした時に、国民がそれを支持した事である。バブル以前は公共投資が政権による国民の人気取りに使われていた事を考えると、隔世の感がある。
 一方、供給サイドに問題があるという論者は、それを「構造問題」と呼び、構造問題を解決すれば日本経済は再び活気を取り戻すと考えた。彼等の処方箋を実施しようとしたのが小泉内閣(2001?2006)による「構造改革」である*1。資金供 給を担う金融機関が不良債権を抱えている事を問題視して不良債権を処理させたり、規制緩和や民営化などが試みられた。
 小泉構造改革は、短期的な景気対策には興味を示さず、構造問題の解決により供給サイドを強化しようというものであったため、需要不足説からは強い懸念の声も聞かれた。不良債権を処理すると、借り手が破綻したり銀行の自己資本が減少して貸し渋りを招いたりするので、景気が更に悪くなる、といった懸念であった*2。結果としては、ドル高円安による輸出の増加によって日本の景気はむしろ回復・拡大したため、事なきを得たが、かえって日本経済の問題が需要サイドにあるのか供給サイドにあるのか、という論争の解決は遠のいた。
 ちなみに、小泉内閣を含めて、供給サイドの弱さを問題視する人々の多くは、日本経済がグローバル・スタンダードから外れている事が停滞の原因である、という認識を共有していた。グローバル・スタンダードという言葉は、米国的なやり方、という意味である。90年代から00年代前半までの米国経済が好調であり、停滞を続けている日本経済と対照的であった事が影響したものと思われる。企業経営、金融資本市場のあり方、政府と民間の関係等々について、日本的なやり方 を改めて米国的なやり方を幅広く導入すべきだ、という主張がなされたのである。
 この主張はリーマン・ショックにより米国的なやり方への賞賛が消えると勢いを失ったため、現在では幅広い支持を集めているとは言い難いが、たとえば企業経営者が従来よりも遥かに配当や株価を重視するようになった点など、今でも影響は残っている。
 消費者物価が厳密にはわずかに下落している事に着目し、日銀の金融緩和が足りないからデフレになり、デフレ下では実質金利がプラスになるので、これが長期不振の原因だ、という論者も存在した。理論的には成り立ち得る議論だが、実際のデータを見ると、1998年をピークとして平均すると年率 0.3%程度の消費者物価下落が続いていたのであって、この程度のデフレが経済に大きな悪影響を与えていたとは思われない。海の水を一口飲むと海の水が減る、という主張と同様、理論的には全く正しいが実際には意味が乏しい主張だと言えるであろう。
 もっとも、消費者物価上昇率が年率2%程度であれば、実質金利をマイナス2%程度まで下げられるので、景気対策が容易である、という主張は、その通りであろう。その意味では、消費者物価上昇率がゼロ(あるいは?0.3%)の世界は景気対策が困難なので、それが経済の長期低迷の一因であった、という事は言えるかもしれない。あとは、どうやって消費者物価を年率2%上昇させるのか、という問題が残るのみである。この点については後述する。
 余談であるが、「デフレ」という単語は、物価の持続的な下落という意味で用いられる事もあるが、不況で物価が落ち着いていること、という意味で使われる事も多い。研究者や日銀関係者は前者の意味で用いているが、一般庶民は後者の意味で用いる場合も多く、情報の出し手と受け手の間の誤解による混乱も少なくない。
 アベノミクスがデフレ脱却を政策目標に掲げた際、庶民の多くはこれを歓迎した。消費者物価の上昇を歓迎したわけではなく、景気回復を歓迎したのであるが、これが安倍内閣の高い支持率に結び付き、政権が安定して株高などをもたらし、それにより実際に景気が回復したのであるから、結果オーライという事であった。
 もっとも、実際に消費者物価が値上がりすると、庶民からは不満の声が聞かれるようになった。アベノミクスのメリットとデメリットの及び方が各人それぞれであるから、デメリットが多い人が不満を述べる事は不思議ではないが、実際には「景気が回復するとは思ってアベノミクスを支持したが、物価が上がるとは思っていなかった」といった誤解も多かったようである。


    (需要の不足)

 筆者は、需要不足が日本経済の最大の問題だと考えている。物価が長期的な下落トレンドにあるのは、財やサービスの需給が緩んでいるからであり、供給サイドに問題があるのであれば、デフレではなくインフレになるはずだからである。
 バブル期を境として日本経済が長期低迷期に突入した根本的な原因は、筆者の理解によれば、日本人が勤勉と倹約を旨としている事にある。勤勉と倹約は、良い事であるが、合成の誤謬により、全員が勤勉と倹約に励むと経済全体としては需要不足に悩むのである。
 江戸時代の日本では、勤勉と倹約が生命を維持するために必要であった。明治からバブル期までの日本では、勤勉と倹約により捻出された資材と資金が設備投資などに振り向けられた事により、日本経済は外資に頼らずに発展・成長して来られたのである。この点は、中国をはじめとする多くのアジア諸国が外資の導入により発展して来たのとは事情が異なることに留意が必要であろう。
 しかし、バブルが崩壊すると、日本人が勤勉に働いて多くの財やサービスを生産し、倹約して少ししか財やサービスを消費しないため、供給が需要を上回り、需要不足経済となったのである。
 このように、需要不足が長期低迷の主因であったとする筆者の立場からすれば、バブル崩壊後に巨額の公共投資を実施しても景気が回復しなかった理由としては、公共投資が足りなかったのだと理解している。あれだけのバブルが崩壊したので あるから、公共投資を行なわなければ大不況に陥っていたはずであり、あの程度の不況で済んだのは公共投資のおかげである。公共投資は無駄だ、ということは決してないのである。
 不況が深刻な時には公共投資の効果が薄い、という事は言えよう。公共投資で雇われた失業者は、近い将来再び失業すると思って消費を控えるであろうし、たとえばテレビを買ったとしてもテレビ会社は社内失業が減るだけなので、新しく失業者を雇う事はしないであろう。つまり、乗数効果が働きにくいのである。しかし、このことは、不況が深刻な時ほど公共投資が無駄だ、という事は意味しない。むしろ、不況が深刻な時ほど大量の公共投資が必要なのである。バブル後の経験を通じて国民にこうした理解が得られなかった事は、不幸な事であったと言えよう。
 バブル崩壊後は労働生産性の伸び率が低下している、とのデータから、供給側に問題があるとする論者もいるが、説得力は乏しい。需要が少ないために設備投資が行われず、従って最先端の技術が設備に化体されず、労働力が余剰であるため省力化投資も行われず、従ってTFPも伸びない、という因果関係も考えられるからである。
 長期低迷期に於いても、労働力需給の緩みは限定的で、失業率も抑制されたものであったが、その主因は、経常収支黒字と財政赤字により余剰労働力を吸収していたからであり、需要不足であったとの認識とは矛盾しない。
 国内民間部門の需要が不足しているため、海外に財・サービスを購入してもらっていたのが経常収支黒字であり、それでも需要が足りなかったために生じたのが景気対策のための財政赤字だったのである。見かけ上の失業率はそれほど高くならなかったが、経常収支黒字がゼロになるまで円高が進み、財政赤字がゼロになるまで財政再建を進めていたら、失業率は実績よりも遥かに高いものとなっていたはずである。
 今ひとつ、日本企業は終身雇用なので、不況期でも首切りが出来ず、不況期には「社内失業」が増える事も、表向きの失業率を抑制する要因であった。

(2) アベノミクスの概要と賛否

 上記のような長期停滞から脱却するため、力強い政策が必用だと考えたのが安倍総理であり、彼の経済政策が「アベノミクス」である。彼が総理に就任したのは2012年12月26日であるが、2012年11月14日に野田総理(当時)が衆議院の解散を宣言した段階で、安倍自民党総裁が次の総理になると広く信じられていたため、その時点から市場では株高、ドル高が始まり、アベノミクスの経済効果は動きはじめたと考えて良い。
 アベノミクスの基本方針は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資 を喚起する成長戦略」であり、これは「3本の矢」と呼ばれている。


    (金融政策)

 安倍政権は、長期低迷の一因を、金融緩和の不足からデフレに陥っている事だと捉え、大胆な金融緩和を行なえばデフレから脱却できると考えている。たまたま政権成立の直後に日銀総裁が交代の時期を迎えた事から、安倍内閣がこうした考えを共有する黒田東彦氏を日銀総裁に指名し、大胆な金融緩和が実施されることとなった。
 彼等の基本的な発想は、国債を市場から大量に購入して世の中に資金を出回らせれば、財・サービスに対する資金の相対的な希少性が減少し、財・サービスの相対的価値である価格が上昇するので、デフレが止まる、というものであった。そして、日銀は消費者物価上昇率2%(消費税率引き上げの影響控除後)を目指すこととなった*3
 市場に資金が出回れば、ドルや株と円資金との比率も変化するのでドルや株の価格も上昇すると予想したが、あくまでもそれは副次的な効果であり、メインの目的はデフレからの脱却であるとされた。
 実は、日銀はアベノミクス以前から大胆な金融緩和を実施しており、既に市場金利はゼロであり、マネタリーベースも高水準であったが、質的には同じ事であっても桁違いの金額を市場に供給することで「異次元」の緩和により人々の「期待に働きかける」事が出来るとされたのである。
 こうした政策に対しては、期待する論者と期待しない論者が存在した。期待しない論者は、「これまでも市場に資金を供給して何も起きなかったのだから、資金供給の規模を拡大しても同じことだろう」と考えたのである。
 しかし、世の中に資金が出回りすぎるとハイパーインフレを招くといった反対意見は弱かった。ハイパーインフレの兆候が表われた時には日本銀行が適切なコントロールをするだろう、という信頼が底流にあったのだと思われる。


    (財政政策)

 安倍政権は、積極財政政策を打ち出した。バブル崩壊後に景気対策としての公共投資の人気が低下し、実績も減少基調にあった中で、積極財政が比較的広い支持を集めたのは、「国土強靭化計画」を謳ったからである。
 東日本大震災で大きな被害を受けた事から、人々は被災地の復興とともに次に起こり得る災害に対する備えの重要性も充分認識していた。そのタイミングで打ち出された積極財政政策は、必要な工事を行なうものであり、付随的に財政政策としての景気浮揚効果も見込める、という受け止め方をされたのである。東京オリンピックの開催が決まってからは、オリンピックの準備のための公共投資も必要とされた上に、オリンピック時に災害が発生しても大丈夫なように防災対策が強化されるべきだ、という要因も加わった。
 こうした政策に対しては、期待する論者と期待しない論者が存在した。期待しない論者は、公共投資の景気刺激効果は一時的なので、カンフル剤に過ぎず、公共投資を止めると再び景気が悪化してしまうと考えたのである。
 しかし、強く反対する声は聞かれなかった。景気対策としての効果はともかく、被災地の復興や防災対策の重要性に対しては異議を述べにくいことに加え、消費 税増税により財政再建が図られているタイミングであるため、一方的に財政赤字が拡大してしまう、という懸念が強くなかった事も一因であったと思われる。


    (成長戦略)

 成長戦略としては、法人税率の引き下げ、コーポレートガバナンスの強化、民間投資の活性化、働き方の改革、女性の活躍促進、科学技術イノベーションの推進、攻めの農林水産業、金融・資本市場の活性化、等々の様々な政策が打ち出された。
 これらの政策は、短期的な景気回復を目指すものではなく、中長期的な日本経済の活力を増し、潜在成長率を引き上げるためのものとされた。
 内容的には特に問題とされる事は含まれていないため、表立った反対論はほとんど聞かれなかった。様々な政策の集合体であり、第三の矢ではなく千本の針である、との指摘もなされているが、千本の針の効果が総体的に成長を促進すれば良いのであって、これを特段の批判と受け取る必要はないであろう。小泉構造改革には短期的な景気に明らかにマイナスとなる政策が多かった(たとえば不良債権を処理すれば倒産が増加する)ため、反対論も強かったが、アベノミクスの成長戦略には、こうした政策はほとんど含まれていないのである。
 もっとも、変革のためには既得権を打破する必要があるので、既得権者は総論賛成各論反対で改革を阻止しようとするであろう。そのため、改革が断行されず、さしたる成果は見込まれないと考える論者は少なくなかった。


    (賛成派が多数)

 上記のように、三本の矢には、それぞれ賛成派がいる一方で、強く反対する論者は限られている。このことは、各論者が、ある矢には賛成で、他の矢には特に反対しない、という立場であり、従って総合的な賛否を問われればアベノミクスに賛成である、という論者が多いという事になる。つまり、三本の矢をパッケージとして打ち出したことにより、幅広い論者から賛成を得ることが出来ているのである。
 今ひとつ、パッケージにした事で賛成派が増えた要因としては、需要対策と成長戦略がパッケージになった事である。
 たとえば保育園を増設することで、子育て中の女性が働きに出やすくなる効果が期待されるが、需要が増えず、失業問題が深刻なままである時に、女性が働きに出やすくなっても、あまり意味は無い。当該女性が仕事が見つからないか、当該女性が仕事に就いた事で別の誰かが仕事を失うか、何れかだからである。
 しかし、先に景気対策を行なって失業問題を解決し、人手不足状態を作り出した上で保育園を増設すれば、それにより新しく働きに出た女性が不足している労働力を供給することになり、経済にとっても当該女性にとっても良い結果をもたらすのである。


    (格差拡大批判)

 アベノミクスに対しては、格差を拡大させた、という批判が存在する。
 その第一は、株式を保有している富裕層が裕福になった一方で、株式を保有していない庶民は物価上昇に苦しんでいる、というものである。しかし、説得力には乏しい。
 たしかに消費者物価は上昇しているが、消費税増税の影響を除いて考えれば1%程度のインフレ率であり、賃金も同程度には上昇しているので、庶民の生活 が悪化しているとは言えない。アベノミクス初期の段階では、ドル高による物価上昇が先行し、賃金上昇が遅れたため、たしかに庶民生活は悪化したが、それは一時的な現象であったと言えよう。
 一方で、失業率は低下し、倒産件数も減少している事を考えれば、最も恵まれた富裕層と最も恵まれない失業者にプラス効果があり、中間層にマイナスの効果があったという事になるため、これを格差の拡大と評価すべきか否かは大いに議論の余地があろう。
 そもそも賃金上昇率の統計に下方バイアスがかかっている事にも留意する必要があろう。少子化が進む日本では、大勢の高齢者が定年で退職し、少数の若者 が新規に入社することになる。そこで企業は退職した高齢者を非正規社員として安い賃金で雇うことになる。これは、マクロ的に見れば賃金の平均低下であるが、個々の労働者にとってみれば、年功序列賃金制に沿った自然の変動であるから、貧しくなったという実感を持つわけではない。
 また、景気拡大により従来は仕事に就けなかった主婦や高齢者が非正規の仕事を得た場合、マクロ的には低賃金の非正規労働者の比率が上昇することにより給与水準が低下したという統計となるが、個々人にとっては収入を得て生活が改善しているのである。
 今ひとつは、円安が庶民の生活を圧迫しているという批判である。マクロ的に見ると、日本は輸出と輸入が概ね同額であるため、円安による輸出企業の受け取り額の増加と輸入企業の支払額の増加は概ね同額である。しかし、前者は輸出企業の内部留保等に止まる率が高く、従業員の給与増となったとしても輸出企業の労働者は全体のごく一部にすぎない。一方で、輸入企業の支払い増は、製品価格の上昇となって幅広く消費者の負担となりがちである。したがって、円高は幅広く一般庶民にとって生活レベルの低下をもたらす、というのである。
 これは一理ある。本来であれば、円安で輸出数量が増加し、輸出企業が雇用を増加させ、設備投資を活発化させる効果が見込まれるのであるが、今次局面では輸出数量が増えず、輸出企業は利益の増加を設備投資に用いていないので、円安が生活レベルを悪化させている効果は否めない。
 しかし、前述の消費者物価上昇率は円安の効果を含んだ数値であり、それが賃上げ率と大差ないのであるから、こうした下押し効果も限定的と言えよう。

(3) 三本の矢の効果
   (成長戦略と公共投資)

 三本目の矢である成長戦略は、もともと短期的な効果を期待したものではないので、現時点で効果を論じる事は適当ではない。本稿では、長期的に日本経済が活性化して高い成長率を実現・維持出来る事を期待するに止めよう。
 二本目の矢である公共投資に関しては、本来であれば景気回復に大いに資する はずであり、消費税率引き上げの景気下押し効果を打ち消す効果も期待される所である。実際、安倍政権発足当初は、失業対策として一定の効果を発揮したとみられている。しかし最近では、建設関係の人手不足が深刻であり、そもそも公共投資の入札を行っても応札が無いケースも散見されるほか、公共投資を実施すればしただけ民間の工事が労働者不足で遅延する、という状況にあるため、期待されたほどの効果は生じていない模様である。折からの東日本大震災の復興需要が大きい中で、東京オリンピックの開催が決まり、東京圏を中心としてインフラ投資等の需要が盛り上がった事が、公共投資の効果を減殺してしまった事は皮肉であった。このように、第二の矢である公共投資は、当初はある程度の効果はあったわけであり、失敗であったとは言い得ないが、今後当分の間は効果が薄いと考えられるので、抑制的に運用されるべきであろう。
 これに対し、第一の矢である金融緩和は、当初の意図とは異なる経路であるが、景気の回復に大いに寄与しているので、以下に詳述する。


    (マネタリーベースとマネーストック)

 日銀が市場で買いオペを行なえば、マネタリーベースは増加する。日銀が購入した国債と引き換えに現金を市場に提供すれば、その現金が世の中に流通しても準備預金として日銀に戻って来ても、マネタリーベースは増えたままだからである(実際には国債の券面も現金も動かずに書類だけで取引が完了する場合が多いが、同じことである)。従って、マネタリーベースは日銀が自由にコントロールする事が出来る。
 2013年3月に就任した日銀の黒田総裁は、マネタリーベースを2年間で2倍にすると宣言し、その目標に向かって着々と国債の大量買いオペを続けている。*4これにより、たしかにマネタリーベースは予定されたペースで増加を続けている。
 一方で、マネーストックは年率2〜4%程度の伸びにとどまっている。この伸び率は、名目GDPの伸び率に見合ったものである。つまり、名目GDPの増加がマネーストックを増加させたのであって、その逆ではないのである。
 

図表3


 マネタリーベースを増加させたのに、マネーストックがそれを映じて増加しなかったのは、銀行の貸出が増加しなかったからである。
 そもそも銀行が国債を保有していたのは、貸出先が無いからである。貸したくない先は借りに来るが、貸したい先は借りに来ないので、銀行は融資を増やしたくても増やせず、仕方なく受け入れた預金を国債で運用しているのである。そうした時に日銀が買いオペで銀行の国債を買い取ったとしても、支払われた代金が貸出に使われるはずが無い。支払われた代金が貸出に使われるような状況ならば、買いオペをするまでもなく、銀行は受け入れた預金を国債購入ではなく貸出に用いていたはずだからである。
 かくして、買いオペで日銀から銀行に出ていった資金は、銀行から世の中に出ていく事無く再び日銀に還流した*5。要するに、銀行のバランスシートの資産が国 債から準備預金に振り替わっただけなのである。マネーストックが増加しないのであれば、消費者物価が上昇する筈はない。したがって、世の中に資金を出回らせてデフレを止める事は極めて困難なのである。
 では、人々の期待に働きかけるという経路はどうであろうか。銀行行動を正しく理解しない人々が、「マネタリーベースを増やせばマネーストックも増えて世の中に資金が出ていき、それにより通貨の相対的希少性が減少するから消費者物価が値上がりするはずである」、と考える可能性はある。
 しかし、これについても、消費者物価については成功していないようである。日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」は、今後1年間と5年間の予想インフレ率を聞いているが、その回答はアベノミクス前の 2011年、2012年当時 と概ね同水準である。ちなみに、水準自体は低くないが、アベノミクス前のデフレ時代の回答でさえも水準的には低くなかった事を考えれば、それがこの手のア ンケートに対して消費者が悲観的に回答する(インフレを予想した回答を行う)バイアスによるものである事は、容易に推測可能である。
 また、金融市場の予想するインフレ率は、物価連動国債の利回りと利付国債の利回りの差を逆算する事により観察することが可能であるが(逆算の結果はブレークイーブンインフレ率、BEI と呼ばれる)、こうして逆算されたインフレ率は、今後10年間の平均で1%をわずかに下回る水準である。景気が回復し、為替がドル高円安に振れている中で、しかも今後少子高齢化で労働力が不足気味に推移し、財とサービスが需要超過気味に推移する可能性も指摘されている中で、日銀が明 確に目標として掲げている消費者物価上昇率2%を大きく下回るBEIが観察されているのである。
 このように、期待物価上昇率が上昇しなかったため、実質金利も低下せず、期待物価上昇率の経路からデフレを止める事も成功したとは言い難い。2014年10月には追加緩和も決定されたが、これも株価とドルの価格上昇をもたらしただけで、今のところ期待インフレ率の上昇にはつながっていない。


    (偽薬効果)

 人々の期待に働きかける、という経路は、消費者物価に関しては成功しなかったが、株価に関しては見事に成功した。株式市場の人々が何を考えたのか、正確に知る術はないが、推測は可能である。マネタリーベースが増えればマネーストックが増え、発行済み株式数と流通現金の比率が変化し、相対的に希少となった株式の価値が上昇するはずだ、という事であろう。
 株式市場の期待それ自体は、誤っていた。マネーストックが増えなかったからである。しかし、株価は上昇した。株価の上昇により、景気は回復した。結果として、金融緩和は成功したのである。
 医者が患者に向かって、高価な薬だから効果は抜群だ、と言って小麦粉を飲ませると治ってしまう事がある。偽薬効果と呼ばれる現象である。今回も、実際にはマネーストックを増加させる力の無い金融緩和という「偽薬」によって株価が上昇したのであるから、同様の「偽薬効果」と言える。
 では、なぜ消費者物価に生じなかった偽薬効果が株価には生じたのだろうか。株式市場では、金融緩和は株高要因だ、と考えた人は株式の買い注文を出すので、株価が上がる。金融を緩和してもマネーストックは増えないから、本来ならば金融緩和は株高要因ではないはずだ、と考えている人々も、金融緩和が株高要因だと誤解している人々が株を買えば、実際に株価は上がるだろうから、先回りして自分も買っておこう、と考えて買い注文を出すので、株価は一層上がる。
 一方で、消費者物価の場合には、金融緩和で消費者物価は上がるだろう、と考えた人がいたとしても、買い急ぎの動きは限定的で、買い急ぎが物価を上昇させる事は考えにくい。そうなれば、金融を緩和してもマネーストックは増えないから、消費者物価は上がらないだろう、と考えている人も買い急ぎをせず、結果として物価は上がらない、という事になるのである。
 株や為替と異なり個人消費で買い急ぎの動きが限定的であった理由としては、個人消費の項目の多くは買い置きが出来ないか、買い置きに保管コスト等を要する事が主であろう。今一つ、株や為替が何割も値上がりする可能性がある一方で、消費者物価は年間2%程度の値上がりしか見込まれないため、買い急ぐインセンティブが乏しかった、という事も挙げられよう。
 為替レートに関しても、結果としては株価と同様の偽薬効果によりドル高円安が進んだ。もっとも、為替操作と誤解される事を恐れて日銀は、ドル高を目的として金融を緩和した、とは言っていないので、建て前としては、金融緩和によりドル高円安が実現できた、とは言えないが、実態として金融緩和にそうした効果があった事は疑いない所である。
 では、なぜアベノミクスの金融緩和は偽薬効果があり、それ以前の金融緩和には偽薬効果が無かったのであろうか。アベノミクス以前の日銀も、アベノミクス以降の日銀と概ね同様の緩和策を採っていた。緩和の規模という量的な差はあったが、それが偽薬効果の規模ではなく偽薬効果の有無の差をもたらす原因であったとは考え難い。
 おそらくは、違いの原因は日銀の姿勢にあったのだと考えられる。アベノミクス前の日銀は、ゼロ金利下で緩和を追加しても効果は薄いと考えていて、それでも対外的に緩和しているという姿勢を示す事が日銀批判を和らげると考えたから緩和をしていたのであろう。つまり、医師が患者に小麦粉であると言いながら小麦粉を渡していたのであり、これでは効くはずがない。
 これに対し、アベノミクスに於ける日銀は、金融緩和には効果があると信じており、市場に対しても自信を持って効果をアピールした。医者が患者に良く効く薬だと説明しながら飲ませたから偽薬効果が生じたのである。


    (消費者物価指数)

 アベノミクスにより、消費者物価は上昇に転じたが、それはマネーストックが増加したためではなく、主にはドル高による輸入物価の上昇を映じたものであった(本稿では、物価上昇率については、消費税率引き上げの影響を除いたベースで論じるものとする)。この経路については、今後もドルが値上がりし続けると信じない限り、期待インフレ率を高めるものとはなり得ない。
 ちなみに図表4は、消費税率引き上げ前の消費者物価指数の推移であるが、生鮮食品を除いた財がアベノミクス以降の円安進展に合わせて(若干のタイムラグを伴いつつ)上昇していること、持家の帰属家賃を除くサービスの上昇が緩やかである事が示されている。
 

図表4


 なお、ドル高円安が消費者物価の押し上げ要因として重要であるか否かについては議論がある。たとえばみずほ総合研究所[2014]は、マクロモデルを用いた分析を紹介しているが、それによれば15%の円安で消費者物価は0.3%上昇するとされている。タイムラグの捉え方にもよるが、2013年前半の消費者物価を考える際に考慮すべき為替レートの変動のうち、アベノミクスの影響でドル高になった部分を20%とすれば、その影響は0.4%にとどまった事になる。もっとも、輸入(通関統計)は名目GDPの17%を占めているため、円安が消費者物価に与える影響は今少し大きいと考える事が自然であろう。
 一方、図表5は、製商品・サービスの需給の引き締まり具合を日銀短観で見たものであるが、アベノミクス以降の変化については製造業と非製造業で大きな違いは無く、水準的にはバブル崩壊後としては比較的引き締まっている方である。しかし、消費税率引き上げ前で駆け込み需要が大きく、2014年1−3月の最も需給が引き締まっていた時期でさえも消費者物価指数は落ち着いた推移を示していた事を考えると、受給のひっ迫がインフレを引き起こすには至っていないと考えるべきであろう。消費税率が引き上げられて以降は駆け込み需要の反動減などで需給が一時的に緩んでいることもあり、インフレ圧力は更に弱まっていると考えられる。
 

図表5


 労働力の需給は引き締まっているため、賃金上昇がコストプッシュ・インフレをもたらす可能性はあるものの、これも実現していない。理由の第一としては、賃金の上昇率が小幅である事が挙げられる。日本は終身雇用制で労働力の流動性が低いため、賃上げを行わないからといって社員が他社に移ってしまう可能性は低いので、経営者にとって初任給以外の賃金を引き上げるインセンティブが弱いのである。
 賃金上昇がコストプッシュ・インフレにつながらない今一つの理由は、特に景気回復初期に特徴的であるが、労働生産性が向上するので、単位労働コスト(労働コストを生産量で割った値)が上昇しないのである。一般論として景気回復初期は労働生産性が向上しやすいが、日本企業は終身雇用制であるため不況期には「社内失業」と呼ばれる余剰労働力を抱えており、彼等が活躍するようになる景気回復初期は労働生産性の向上が顕著なのである。ちなみに消費税率引き上げ後 は一時的にGDPが減少した結果、計算上は単位労働コストが上昇したが、これは 一時的な上昇であり、景気回復が続くとすれば再び低下してゆくと予測される。
 なお、コストプッシュ・インフレとは直接関係ないが、日本的経営が変質してきた事も、賃金が上昇しない一因である。かつての日本企業は従業員の共同体であり*6、利益が上がれば従業員にも積極的に配分されたものだが、近年は株主重視 の風潮が強まったこともあり、利益が上がっても賃上げをせずに配当や内部留保 に回す傾向がある*7。中小企業は 1997 年以降の金融危機時に、銀行の貸し渋りを受けた経験から、手元資金を厚めに持つ必要性を痛感し、それも賃上げに消極的な理由であると考えられる。
 
 もちろん、今後も景気回復・拡大が持続すれば、いつかは需給ひっ迫によるインフレや賃金上昇によるインフレが発生するであろうが、それを考えた上で金融市場が予想しているインフレ率(物価連動国債の利回りから逆算したブレークイ ーブンインフレ率)が1%強にとどまっているのである。日銀の目指すインフレ率2%は、達成が困難そうである。

(4) アベノミクス後の景気動向

   (景気の回復)

 アベノミクスにより景気は劇的に回復したが、その経路は再び想定と異なるものであった。マネーストックが増加してデフレが止まり、実質金利が低下して投 資が増加する、という経路を辿らなかった事は前述のとおりである。
 株価上昇に伴って、株式を保有する富裕層の高額消費が増えた事は想定どおりであったが、株式を保有しておらず、しかも賃金も上昇していない一般庶民の間 に「プチ贅沢」が流行した事は、想定外のことであった。
 ドル高円安により、輸出企業は輸出代金の円換算額が増えて増益となったが、これは輸入企業の輸入代金の円換算額が増加した分と概ね同額であり、景気への 影響は限定的であったと思われる。むしろ、若干のマイナスであった可能性も高い。輸入が輸出より若干金額が大きいこと、輸出の方が円建て契約の比率が高いため、ドル高のメリットが減殺される事、輸出の金額増は輸出企業の内部留保になりがちな一方で、輸入の金額増は消費者物価上昇として消費者の実質所得を減少させ、消費にマイナスに働き得るからである。
 意外であったのは、2割も3割もドル高円安となったのに*8、輸出数量が増えな かった事である。これについては、リーマン・ショックからアベノミクスまでの数年間にわたり厳しい円高が続いたので、その間に日本企業が生産拠点を海外に 移転させてしまったために円安になっても輸出数量が伸びない体質になってしまったから、という説明が一般的である。そうだとすると、ドル高円安が続き、日 本企業が過去の円高のトラウマから脱して国内に生産拠点を戻す決断をするまで、しばらく時間がかかるのかも知れない。
 こうして輸出数量が伸びず、外需が経済成長に貢献しない中で、景気回復を主導したのが国内需要であった。公共投資が第二の矢として初期の景気回復に大い に貢献した事は既に記したが、国内民間需要も伸びたのである。
 消費税前の駆け込み需要とその反動減を均すために、駆け込み需要を税率引き上げ前の半年間、反動減を引き上げ後の半年間と考えて、2013年10月から2014 年9月の実質GDPを計算し、それをアベノミクス前である2年前の同時期の実質GDPと比較すると、個人消費は1.7%、設備投資は3.4%それぞれ伸びているので ある。
 GDP全体としては 1.8%増えているが、これは年率 0.9%の成長であり、バブル崩壊からアベノミクス前までの長期低迷期20年間(1992年から2012年まで) の平均成長率である 0.8%を小幅ながら上回っている。素晴らしいとは言えないが、直前の成長率と比べて遥かに高いこと、消費増税の景気押し下げ効果を含んでいる事、輸入が(原子力発電所の停止による火力発電の増加、景気回復、駆け込み需要等の影響で)輸出以上に伸びている事を考えれば、一応はアベノミクスの成果と言えるであろう。
 このように、当初想定された経路とは異なる経路であったが、兎にも角にも景気は回復したのである。
 

図表6


    (消費税率引き上げの影響)

 2014年4月、消費税率が5%から8%に引き上げられた。そのことの景気への影響は、二つの面から検討されるべきである。一つは需要がどの程度押し下げられたのか、という面であり、今一つは消費増税によって景気の方向が上向きから下向きに転換してしまったのか、という面である。
 需要がどの程度押し下げられたかを論じるためには、駆け込み需要とその反動減を均して如何かを見るべきである。そこで、2013年10月から2014年9月の実質GDPを、前年同期と比較してみると、成長率は 0.8%となる。前年同期の実質 GDPを更に1年前のGDPと比較してみると、成長率は1.0%であったから、これと比べると消費税によって景気は減速しているように見えるが、アベノミクス初期 で景気が急激に回復していた時期と大差ないと考えれば、影響は限定的であったとも言える。
 一方、景気の方向性については、消費税率引き上げ後の経済指標が強弱入り混じっていて、景気の大きな方向性が見えにくい。特に、実質GDPが2四半期マイナスとなった事で、消費増税のマイナスの影響が当初予想されていた以上に大きかったという見方が急速に広がった。
 こうした状況に鑑み、安倍内閣は2015年10月に予定されていた2度目の消費税率引き上げ(8%から10%へ)を1年半延期した。
 これを以てアベノミクスは失敗したとの見方もあるが、それは正しくない。ここで重要なことは、消費税率の引き上げはアベノミクスの一部ではなく、前政権時代に主要与野党の合意で成立していた法律だ、という事である。つまり、アベ ノミクス自体は景気浮揚に成功したが、2度の増税に耐えられるほどの大きな成功ではなかった、という事なのである。
 なお、現時点で景気が上を向いているという点は重要である。日本経済研究センター[2015](公益社団法人日本経済研究センターが主要なエコノミスト41人(機関)に対して行ったアンケート調査を集計した結果をまとめたレポート)によれば、景気の山が過ぎたという回答が22名と半数を若干上回る結果となったが、うち20名は既に景気の谷を過ぎていると回答している。つまり、消費税増税に伴う駆け込み需要の反動によって短期的な景気後退があったが、既に景気は回復・拡大基調に戻っているとする回答と、景気は後退せずに拡大を続けているという回答が圧倒的多数という事になるのである。これは、現時点では景気が上向きであるという事を強く示唆している。つまり、消費税によって景気が腰折れしてし まって、買わないから作らない、だから雇わない、雇われないから収入が無くて買えない、といった悪循環に陥ったという悲観論を排するものである。今後についても特段の事件などが起きない限り、景気は回復・拡大を続けてゆくと考えて 良いであろう。

(5) アベノミクスの今後

   (金融緩和)

 日銀は、消費者物価上昇率2%を明確な目標として掲げているが、上記のように目標達成は困難であると思われる。従って、2014年10月の追加緩和では足らず、日銀は更なる追加緩和を迫られる事になろうし、当分の間は超金融緩和を止めるわけにはいかないであろう。このことは、日本政府が巨額の負債を抱えている事を考えれば、望ましいポリシーミックスと言える。すなわち、景気が拡大を続けても超金融緩和が続けば、税収の自然増収が見込まれる上に、消費税率の今一段の引き上げも視野に入るかもしれない。一方で、長期金利が低水準で推移すれば、政府の債務に対する利払いが膨らむ事もないので、財政再建が進むことになるからである。
 問題は、景気の拡大が続き、人手不足が深刻化し、株価と地価が高騰し、ミニバブルの様相を呈してきても日銀は金融緩和を続けるのか、という事である。仮に市場が、消費者物価上昇率が2%になるまで日銀は絶対に金融緩和を止めない、と信じたとすると、安心して株や土地の値上がりに賭ける事が出来るようになるので、ミニバブルが本格的なバブルに発展しかねない。そうなると日銀は、2%よりバブル潰しの方が大事だから金融緩和を止める、と宣言せざるを得ず、バブルが一気に崩壊する事になりかねない。
 一方で、日銀が早い段階で、金融緩和の目的は景気の回復であって2%はそこに至る中間目標であったが、最終目的が達せられた以上は中間目標に拘る必要は無い、と宣言して金融緩和を止めるならば、ミニバブルも収束し、景気の回復続き、望ましい経済の姿が実現するであろう。
 日銀の姿勢の問われるところである。


    (公共投資)

 バブル崩壊後、公共投資の人気は低下してきた。しかし、今次局面では東日本大震災からの復興、東京オリンピックのためのインフラ整備、災害に強い国土を作る国土強靭化、といった旗印が掲げられているため、積極的な公共投資も概ね好意的に受け入れられている。従って、今後についても当分の間、比較的高水準の公共投資予算が組まれる事になろう。
 もっとも、前述のように、建設関係の人手不足は深刻であり、そのために人件費が嵩んだり工期が遅れたりして赤字になってしまう民間プロジェクトも多い事を考えると、高水準の公共投資を続ける事が望ましいのか否かは、再考の余地がある。最低限必要な工事は実施するとしても、東京オリンピックの後まで待つ事が出来る工事については、極力待つ事が望ましい。現状の人手不足を緩和するという事のみならず、東京オリンピック後に落ち込むであろう民間投資を補うべく公共投資が実施される事が望まれるところである。
 メリハリをつけた執行計画の策定が望まれるところである。


    (成長戦略)

 成長戦略については、様々な政策が検討されており、一部は実行に移されているが、「第三の矢ではなく千本の針である」という見方もあるように、単独で日本経済の成長率を大きく引き上げるような政策があるわけではない。
 従って、リストに掲げられた政策を地道に実行してゆく事が必要であり、既得権を打破しないと実現できない政策も多いが、国民の高い支持率を背景として是非とも頑張って欲しいものである。
 余談であるが、安倍内閣の支持率は各種調査によれば50%前後であり、就任2年後の首相の支持率としては、過去20年間の内閣で小泉内閣と並んで高い支持率である。2014年12月14日に実施された衆議院総選挙でも与党が勝利した。内閣支持率が景気や株価の影響を強く受ける事を考えると、安倍内閣の支持率は今後も暫くは高めで推移すると考えて良いであろう。

(6) 幸運だったアベノミクス


 アベノミクスは、(消費税増税の影響を除いて評価すれば)、成功だったと言える。政策自体が幅広い支持を受けていた事を考えれば、政策自体が適切だったという事が主因なのであろうが、幸運であった面も大きいと思われる。
 第一に、人々の期待に働きかけたところ、人々の期待が実際に変化した事が幸運であった。金融を緩和しても「、どうせマネーストックは増加しないだろうから、株価もドルも上がらないだろう」と人々が考えたとしたら、何も起きなかったかもしれないからである。
 次に、直前の株価が実力以下の水準であったため、上昇率が高くなった事である。安倍政権の前の民主党政権は、与党経験の乏しい議員が不適切な政策を実行するケースも多く、株式市場はこれを嫌って株価は低迷し、平均株価の PBR(株価純資産倍率)は1倍を大きく割り込んでいた(つまり株価が企業の解散価値よりもはるかに安値で取引されていた)のである。この「売られすぎていた部分」が元に戻ったのはアベノミクスの成果とは言い難いが、これにより「アベノミク スで世の中が変わりそうだ」という期待が広がり、心理面から景気回復を促した事は容易に想像できよう。
 為替レートについては、株価ほど明確ではないが、同様の効果があったものと推測される。
 米国の経済が、リーマン・ショックの痛手から立ち直り、緩やかながらも順調な回復過程にあった事も、幸運であった。米国経済の好調は、日本製品に対する需要を増加させるのみならず、ドル高要因となるので、日本経済にとって米国経済の影響はとりわけ重要なのである。
 今少し長い目で見ると、少子高齢化により労働力余剰時代から労働力不足時代に移行するタイミングであった事も幸運であった。日本は少子高齢化によって労働力人口が減りつつある一方、総人口の減り方はそれよりも緩やかであるため、労働力が不足して行く方向の力が長期的なトレンドとして働いている。これにより、需要不足・労働力余剰の経済(バブル崩壊後の長期停滞期)が将来的には需要超過・労働力不足の経済に変質してゆく事が予測されるが、その過程で労働力 が余剰でも不足でもない(景気動向次第で不足したり余剰になったりする事は当然あるが、均せば過不足が無いという意味)時期を迎えることになる。そして、現在がその時期なのである。
 思えばアベノミクスにより労働力需給が急激に引き締まった事は、不思議な事であった。アベノミクス前と比較すると、2012年7−9月から2014年7−9月までの2年間で実質GDPは0.9%しか増加していないのに、2012年9月から2014年9月までに、失業率(季節調整値)は4.3%から3.6%まで低下し、季節調整済有効求人倍率(新規学卒者を除きパートタイムを含む)は0.81倍から1.09倍に高まり、労働力需給をめぐる人々の関心は失業問題から人手不足問題へと完全に シフトしたのである。これは、日本経済がちょうど移行期にあり、労働力需要が少し増えると労働力不足になり、少し減ると失業問題が生じ易い時期にあるから起きる事なのである。
 こうして見ると、アベノミクスの成功は、運の要素も決して小さくなかったと思われる。これまでの日本経済は、リーマン・ショックなどの不運により打撃を被る事も多かったが、今回は久々に運が味方したという事であろうか。それならば、有難いことである。

(7) アベノミクスはバクチか?


 アベノミクスに対しては、「金融緩和を終了させる際に混乱が起きる可能性が高い」「ハイパーインフレやバブルを招く危険性も否定できない」といった批判がある。こうしたリスクが高いか否かは議論があるものの、リスクが存在する事は疑いない。
 しかし、「危険なバクチだ」という批判は当たらない。仮にアベノミクス前の経済が順調であったのならば、こうしたリスクを採るべきではなかったであろうが、「座して衰退を待つよりは勝負に出よう」というリスクの採り方は「果敢な挑戦」と高く評価すべきであろう。

(2014年1月31日 記)

参考文献
伊丹敬之 [2000]『日本型コーポレートガバナンス』日本経済新聞社
小野善康 [2001]『誤解だらけの構造改革』日本経済新聞社
閣議決定 [2001]『今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針』
厚生労働省 [2011]『労働経済白書』
日本銀行 [2013]『「量的・質的金融緩和」の導入について』
日本銀行[2014]『「量的・質的金融緩和」の拡大』
日本経済研究センター [2015]『ESPフォーキャスト』1月13日
みずほ総合研究所 [2014]『「円安悪玉論」の検証と為替の政治学』10月21日

   (追記)
 本稿は、李暁編[2015予定]『アベノミクスと日中(中日)経済関係(仮題)』人民出版社に(中国語に翻訳して)所収した著者論文をもとに若干の修文を加え、筆者の所属大学である久留米大学の紀要(商学研究 Vol.20 No.3・4合併)に掲載したものである。
 本稿執筆の機会を与えてくれ、また転載を快く承諾してくれた李暁先生(中国吉林大学重点研究基地「中日(日中)経済共同研究センター」主任、吉林大学経済学院副院長、中国世界経済学界副会長)に謝意を表したい。


 今回は以上です。


*1 小泉構造改革の方向性を示したのが「骨太の方針」と呼ばれる閣議決定 [2001] である 。

*2 たとえば小野 [2001]

*3 日銀の決定内容をアナウンスしたのが日本銀行 [2013] である。

*4 2014年11月には追加緩和が実施された(内容は日本銀行[2014])が、本質的には従来と同じことである。

*5 ここで「世の中」とは「銀行の外」という意味である。

*6 たとえば伊丹 [2000] は、日本企業は従業員主権であるとしている。

*7 厚生労働省 [2011] は、近年の景気回復局面においては企業の利益が増加しても賃金が上がらない状況を示している。

*8 日銀による2014年10月の追加緩和の後は、更にドル高が進んだが、タイムラグを考えると現在の輸出数量を考える際には追加緩和前のドル高率を考えるべきである。

 




 


以 上

本稿は筆者個人の見解であり、筆者の属する組織などの見解を示すものではありません。
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