2016年03月31日

久留米大学商学部教授
塚崎 公義

 

1ドル120円は「適正レート」か?


(要旨)
・各国の生活費が等しくなるレートは「適正レート」とは言えない。非貿易財価格を等しくする事に意味はないからである。
・貿易収支をゼロにする為替レートが「適正レート」だと考える事は理屈上は可能だが、「適正レート」を求める事は困難である。
・「実質実効為替レート」という考え方(過去と現在の為替レートが物価上昇率格差どおりに変化してきたか否かを見る指標)が他の手法より優れているとは言えるが、これも問題点は多い。
・長期では実質実効為替レートが過去平均に回帰すると信じて「割安なら買う」という投資手法もあるが、リスクも大きいので要注意である。

(「おまけ」の要旨)
・「1ドルは120円」という固定相場制は便利なようだが、採用されない。採用されても、維持できない事が明らかだからである。

(はじめに)
本稿は、2015年12月7日に株式会社TIWにに寄稿したものを、同社の御了解をいただいて、ここに転載するものです。
寄稿後に金融情勢が激変しており、ドル安円高に振れておりますが、金融情勢が落ち着くとの前提でお読みいただければ幸です。

(本文)
・長期的には適正レートに戻ると信じれば
為替レートの動きは複雑で、専門家はともかくとして、普通のエコノミストには為替の予測は無理である。せいぜい、「現在の為替レートのまま推移する」「日米金利差分だけ緩やかにドル安円高が進む」といった「景気を予測するための前提条件」を工夫する程度である(頑張って予測しているエコノミストもいるが、予測が当たっているとは言い難い)。
しかし、「適正な為替レート」が何円であるのかは、しばしば論じる。これは投資にも参考になる。「短期的には市場レートが適正レートから大きく乖離する可能性も大きいが、長期的には適正レートに回帰する」と信じるならば、「割高な時に売り、割安な時に買う」という戦略が可能になるからである。株式投資に於いて、PERやPBRから割安割高を判断して割高で売り、割安で買うのと同様である。


・「各国の物価を等しくするのが適正レート」に非ず
「ビックマック指数」と言われる指数がある。英エコノミスト誌が「世界各国で売られているビックマックの値段が等しくなるためには為替レートがいくらである必用があるか」を計算して発表しているものである。それによると円は77円程度になる必用があり、現在の120円は円安過ぎる、という事になる。
さすがにビックマックだけの比較では信頼性が薄いので、幅広い品目を比較した「購買力平価」が各機関によって試算されている。代表的なOECDの試算によれば、1ドル=100円強が購買力平価だということなので、120円前後の円は「安すぎる」ということになる。
これは、「どこの国が生活費が高いか」という意味では重要な調査である。一時期、「内外価格差」が問題とされた時に、「日本の物価、生活費が海外より高い」という根拠にも使われた数字である。「中国のGDPは米国より小さいが、これは中国の物価が安いからであり、物価を調整すれば中国のGDPは米国より大きいと言える」といった際にも計算根拠として用いられる数字である。
しかし、「妥当な為替レート」を示すものとは言えない。「各国の生活費が等しくなる事が妥当である」とは言えないからである。
余談であるが、経済の発展段階が同じ国であれば、給料が二倍の国は生活費も二倍であるから、生活水準は等しいはずである。たとえば、理髪料金は理髪士の給料に比例するからである。「生活費も給料も同じ二カ国があり、単に片方の国の為替レートが2倍になっただけ」と考えれば良い。もちろん、機械化が進んでいる国とそうでない国ならば、「先進国の一人当たり給料が途上国の二倍でも製品価格は同じ」という事はあり得るが。
一時期、「最低賃金が日本の2倍の国がある」事が話題になったが、それだけで話題にするのはミスリーディングである。「最低賃金が二倍で物価も二倍」なのか「物価が同じで最低賃金が二倍」なのかによって、全く状況が異なるからである。


・「貿易収支がゼロになる為替レートが妥当」という理屈もあり得るが・・・
「貿易収支がゼロになる為替レートが妥当」という理屈は、あり得なくはない。「貿易黒字の国は、輸出企業が大量の外貨を売るので、外貨が安くなり、輸出が減り輸入が増えるはずだから」である。
もっとも、世の中は理屈通りには行かない。東日本大震災前は、1ドルが90円台でも貿易収支は黒字であったから、「もっと円高になるのが正しい」という事だったのかもしれず、現在は1ドルが120円台でも貿易収支は赤字であるから、「もっと円安になるのが正しい」という事かもしれず、相矛盾する結論が導かれてしまうからである。サービス収支等を加えた「経常収支」で考えても、似たような状況である。


・実質実効為替レートには比較的幅広い支持
「妥当な為替レート」について考える際に、比較的幅広く支持されているのは、他国通貨と比較するのではなく、現在の貿易収支に着目するのでもなく、「過去の為替レートとの比較で今の為替レートが割高か割安か」を考える指標である。筆者は「輸出困難度指数」と呼ぶべきだと考えているが、世の中では「実質実効為替レート」と呼ばれているので、本稿でもこれに従う。注意が必要なのは、1ドル=○円という表示と異なり、実質実行為替レートは数字が大きくなるほど輸出が困難になるということである。ドル安円高は実質実効為替レートを増加させるのである。
統計を作るには、ある時点を100として、為替レートが円高になった分だけ数字を加え、米国の物価上昇率分だけ数字を引き、国内の物価上昇率分だけ数字を加える。実際には米国以外の貿易相手国の事も考慮するが、本質は同じである。
日本については、為替レート自体は360円から120円まで大幅な円高になっているが、その間に日米の物価上昇率が圧倒的に米国の方が高かったので、実質実効為替レートを見ると「今が近年でもっとも輸出が容易だ(=円安が行き過ぎている)」という事になる。
たしかに実質実効為替レートは便利な指標であるし、「だから将来はドル安円高になる」と考えてドルを売る投資家もいるが、リスクも小さくないという事は十分認識しておくべきである。
そもそも輸出競争力を決めるのは物価上昇率だけではない。たとえば日本の技術力が韓国や中国に追いつかれてしまえば、「過去よりも実質円安なのに輸出が減る」かもしれない。
また、為替レートが円高に戻る前に日本がインフレになり、「今の為替が正しい」事になるかもしれない。なお、インフレのリスクについては11月30日の本欄の拙稿を御参照いただきたい。
ちなみに筆者は、小さい投資元本の中ではあるが、積極的にドルを保有している。実質実効為替レートは円安行き過ぎを示唆しているが、インフレリスク等々を考慮して当面は売却の予定はない。もっとも、筆者の為替投資歴上の勝率は50%であるので、これも読者の参考にはなり得ない(笑)。

(おまけ:1ドルが120円の固定レートだったら)
・1ドル=120円という固定相場制になったら何が起きるか、頭の体操
日本はかつて、1ドル=360円という固定相場制を採用していた。当時は企業は為替リスクを心配する事もなく、エコノミストも「為替レートの予測を誤ったが故に景気見通しが外れる」事もなかったであろう。
ならば、今からでも固定相場制に復帰できないだろうか?復帰する事のデメリットは何であろうか?実は、固定相場制に復帰すると非常に大きな問題が発生するのであるが、それは何であろうか?
「米国の方が物価上昇率が高いので、時間の経過とともに日本製品の輸出競争力が増して行き、米国政府の不満が高まる」という可能性もあるが、実際にはそうなる前に更に深刻な問題が発生する可能性が高いのである。
まず、今何が起きているのかを考えてみよう。米国債の方が日本国債よりも利回りが高いのに、米国債を買わずに日本国債を買っている投資家が多い。何故か。それは、米国債には為替リスクがあるからである。
従って、固定相場制が採用された瞬間に、日本国債を保有している投資家がこれを売却して米国債を購入する。その際、巨額のドル買い需要が発生するが、ドルの売り手がいないため、日本政府が外貨準備のドルを売却することになる。しかし、日本中の投資家がドルを買うとなると、外貨準備では不足するので、固定相場制は維持出来なくなるのである。

固定相場制採用に関する頭の体操は、拙著『なんだ、そうなのか! 経済入門』に続編があるので、御興味のある方は御笑覧いただければ幸いである。

以上

 




 


以 上

本稿は筆者個人の見解であり、筆者の属する組織などの見解を示すものではありません。
また、読者に投資などを勧誘するものでもありません。
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